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誌上個展

<日本航空史>見上げれば米軍機

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 今回は、米軍横田基地のオープンハウスで撮った古い写真を並べてみた。私の家は米軍横田基地の離着陸ルートの下のちょっと横にあるので、私にとって空を飛ぶ飛行機とは米軍機だといってよい。 私が飛行機に興味を持った理由がそれであることは疑いないし、今も実際に我が家の上空を飛んでいるのだから、私にとって日本航空史で米軍機を紹介することに違和感はない。


 まず、グローブマスターⅡ。「Ⅱ」はつけずに「グローブマスター」と言っていた。飛んでいると大きな胴体の飛行機で、細い主翼がチョコンと付いているのが印象的だった。主翼が小さすぎる、と子供ながらに思っていて、その感覚は今も同じだ。
兄が三和のプラモデルを作ったことがあって、それは顎の扉を左右に開いて滑り台式の登り板をペロッと出せる面白いものだった。グローブマスターⅡは、ちょっと前に優れたキットが発売されたことは知っているが、キットとして魅力を感じるのはプラモデル的な面白さが詰まった三和の方だ。




 カーゴマスター。子供的にはグローブマスターの近代化長胴型みたいだったためか、どこか好きになれなくて印象が薄い。機首のレドームが似ているように思わせたのだろう。 飛んでいた頻度は、それほどでもなかった。近くで見たのは、この写真のときが最初で最後。



 カーゴマスターの向こうに見えるスターリフターは、カッコいいジェット輸送機だった。この形を毎日見ていたので、C-1を見たときに小型で短胴のスターリフターに見えてしまい、パクリにしか思えなかった。今はグローブマスターⅢがよく飛んでいて、これがC-1のパクリに見える。身勝手なものだ。 スターリフターは胴体を延長したB型に改造されたが、それはそれは、すごく長い胴体に見えた。私はどちらも好きだ。胴体を長くすれば軽い荷物ならばいろいろ積めるのは分るけれども、胴体が長くなって重力が増しただけで損だろうと思っていたが、性能も良くなったのだという。




 キャンベラとその高高度飛行型。キャンベラはたくさん飛んでいた。大きな主翼がすてきで、米軍機のなかで個性的だった。ところが、色の記憶がない。写真の機体は迷彩塗装をしているが、飛んでいた姿での記憶は、銀なのか、迷彩なのか、全く覚えていない。兄は、黒だったという。私にとってキャンベラはタンデム座席配置のこのタイプであって、イギリス機の形は受け入れられない。 高高度型は飛んでいるとずっと見ていた記憶がある。とてもゆっくりと飛んでいて、翼平面形が影響しているのか下反角が付いているように見えた。偵察機だとは知っていたが、何を偵察していたのか分らない。頻繁に飛んでいたとはいえないが、珍しい機種ではなかった。




 最後はファントムⅡ。これも「Ⅱ」はつけずに「ファントム」と言っていた。ベトナム戦争のころは、頻繁に家の上を飛んでいた。デルタダガーやサンダーチーフをいつも見ていたから、カッコ悪い飛行機に見えた。迷彩機しか記憶がない。最初はタンが濃い色だったが、そのうちに明るい色になった。ヤケて白化したのか別の色なのかでなく、「ファントムのタンは2色ある」が持論となった。 川添史郎『モデラーズ・カラー』(モデルアート社、昭和47年)p.97の「サンド」の説明に「特にサンドが明るくなり勝ちであり」とあるが、私は「それでイイのだ」と言いたい。ファントムといえば、機首が長いE型を知り、そのうちに飛ぶだろうと思っていたら、まもなく飛んだ。すごく長い機首が不恰好に見えた。機首が短い写真のタイプが懐かしい。



 さて、軍用機が飛んでいることに対する感覚について、職場で話題になったことがある。私にとって米軍機はいつも飛んでいる飛行機であり、それが日常である。航空自衛隊の基地近くに住んでいる方は、自衛隊機が飛んでいることが普通だった。 沖縄出身の方は、米軍機に反発する意識が高かった。飛行場が近くにない方は軍用機を実感できないのか、話題にならなかった。
 
 どの立場も、1945年の敗戦がもたらした日本の空の姿である。これが今回の本題だ。



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