ロッキード・ハドソンは、同社のL-14スーパー・エレクトラ旅客機を基に開発された哨戒機で、1938年12月10日に初飛行しました。開発のキックオフは対独戦の準備を始めたイギリス空軍で、目的はアブロ・アンソンを補充する沿岸哨戒機の獲得でした。
イギリス空軍は翌年9月の開戦までに78機を配備出来ましたが、アメリカは中立法の制約があり、輸出機はアメリカーカナダ国境まで飛行し、着陸後にトラクターや馬に曳かれて国境を越え、カナダから船積みでリバプールに輸送されるという迂回路を辿りました。
オーストラリア空軍に配属されたハドソンは、太平洋戦域で印象的な活躍をしています。対日開戦直前の1941年12月6日、コタバルを離陸したハドソンは、マレー侵攻に向かう日本軍船団を発見し報告、12月8日のコタバル上陸時には反撃して、輸送船「淡路山丸」を空爆して炎上させ放棄させました。
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1942年8月8日にはガタルカナルに上陸した米軍に対抗する第八艦隊を発見し報告しています。この時ハドソン機機長が帰還後にのんびり紅茶を愉しんでから報告したとする説がありますが、どうも捏造のようです。
オーストラリア戦争記念館(AWM)コレクションのロッキード・ハドソンは館内にはなく、キャンベラ空港ビル内で展示されています。昨今の博物館の照明は、展示品の劣化を防ぐためにか、暗い設定にされて写真撮影に難渋していますが、このハドソンはチェックインカウンターのフロアーに展示なので、照明は明るく、かつ見学者はいないので、安心して撮影出来ました。
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