この3つを読んでみると、何が真実なのか分らなくなるが、私は剣に関った個人にとって、全て真実なのだろうと思っている。道理や常識は通らない時代だったのだから。
剣について、それらの意見の相違を結ぶ証言もある。『世界の航空機』1952年7月号の「読者サロン」に、こんな投稿が掲載されている。「垂直尾翼に「八紘」「八幡」などゝ、書かれたものを特に忘れない。脚を落し、次に大きな爆弾(練習用らし)を落して飛行場に胴着するのを見る毎に…」「終戦直後、飛行場整理の時、私は最後の見おさめと思い座席に座った。樫の操縦桿。計器の少ない中に「脚落下」「爆弾投下」と書かれていたのが目に残る」とある。この飛行場は、投稿者の住所が東京都であり、「此の基地にキ115が見世物となって露天に置かれてある」というから、そこは現在の米軍横田基地であろう。
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「読者サロン」によれば、「八紘」「八幡」などと書かれていたというのだから審査とは思えないから、どうやら剣を使った訓練はしていたようだ。それは実用していたという事である。その訓練は、1回ごとに模擬爆弾を抱いて飛び上がり、胴体着陸。危険で無駄な使い方だとは思うが、ここまでならば出撃していないといえる。
『最期の特攻機「剣」』の表紙カバーにある残存機は、1994年時点で千葉県関宿滑空場格納庫にあったようだが(ロバート・C・ミケシュ『サムライたちのゼロ戦』講談社、1995年)、今はどうなのだろうか。
剣は、狂気の飛行機である。いや、末期に造られた飛行機の多くが特攻を想定していたし、旧式機や複葉の練習機までも特攻出撃をしていたのだ。どれもこれもが、狂気の飛行機だ。
写真は、「剣」。 |