1968年(昭和43年)12月19日、日本の第9次南極地域観測隊の隊員11名は陸路で南極点に到達しました。9月28日に昭和基地の対岸から4輌のKD60型雪上車に12名が分乗して出発、83日間で2,570kmを走破した探険行でした。往路で隊員1名が負傷して後送され、又雪上車1輌を放棄したアクシデントがありましたが、世界で9例目の陸路南極点到達に成功したものです。帰りもKD60型雪上車3輌で、南極点のアメリカの「アムンセン・スコット基地」を12月23日に出発、翌年2月15日に昭和基地に帰還しました。
KD60型雪上車は、この偉業達成のために防衛庁技術本部で設計、小松製作所で製造されましたが、要求された性能は
①-60℃の低温下でも稼働
②エンジンは平地から4,000mの高地にも対応 ③橇を含めて8トンの重量を牽引
④走行距離6,000kmに耐える
⑤観測機器、通信機を室内に搭載し5ヶ月の連続使用に耐える 等と過酷な物でした。試作車KD601は北海道と南極でテストを行い、KD602を経てKD603でほぼ完成しました。
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探検隊はKD603,KD604,KD605,KD606で編成され、元海軍予備士官の村山雅美隊長は、KD604を旗艦「瑞鶴」、KD605 は「翔鶴」、KD606を「飛龍」、予備で参加したKD603を「蒼龍」と名付けました。なおKD603とKD606は貨物運搬用のトラック型です。KD603は往路路で放棄され、KD606は昭和基地近辺に埋没しているようですが、殊勲の「瑞鶴」と「翔鶴」は帰国し、保存・展示されています。2輌とも2014年に「機械遺産」の認定を受けました。
今回は国立極地研究所南極・北極科学館に展示中のKD604をご紹介させていただきます。KD605は秋田県にかほ市の白瀬南極探検隊記念館に、試作のKD601は新潟市の新潟自然科学館で展示されています。
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