Home  > <日本航空史>緑十字機>2018年9月号 

誌上個展

<日本航空史> 緑十字機

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 終戦直後に必要最低限の連絡飛行に使われた日本機がこれだ。機体全体を白っぽくして日の丸の位置に緑色の十字を描く、日の丸を白い四角で塗りつぶして緑色の十字を描く、とりあえず緑十字を描く。十字の太さは一定せず、一つの十字でも4方向で太さが違うものがある。つまりは緑色の十字を描くくらいしか共通していないようだ。機体全体を白っぽく塗りつぶした機体でも、赤い日の丸の形が見えているものがある。全体的には、上塗りは雑で、丁寧に白を塗って感じではない。  緑十字機や捕獲された日本機を解説した本に、野原茂『囚われの日本軍機秘録』(光人社、2002年)がある。よく蒐集してあって、模型作りに便利な一冊だと思う。以下の解説も、この本によるところが大きい。



 掲載写真の一式陸攻は、8月19日に千葉の木更津から沖縄の伊江島へと飛行した降伏使節団を乗せた機体。主翼下面に板のようなものを貼っているように見えるが、防弾というか防漏のために付けたゴム板であろうと私は思っている。 
それが写った写真は『航空ファン』1977年11月号に掲載されている。それによると、翼幅方向に2本のベルト、翼弦方向に何本ものベルトを掛けて締め付けているようだ。




 零戦は、翼機銃を強化した末期の型式。前掲『囚われの日本軍機秘録』p.194によれば、中国の上海郊外、龍華基地での写真であるという。型式は62型とある。掲載写真はそれと連続しているショットらしく、撮った角度がちょっと違う。掲載写真には裏に書き込みがあり、「A6M6c」とある。いつ・誰が書いたものか分らないので、それ以上の追求は難しい。
主翼上面は白い四角で日の丸を隠しているが、左翼はさらに日の丸周囲を別の色で塗りつぶしていたのかもしれない。主翼上面は白い四角に緑十字が描かれていないので、実際には使われていないのだろうか。掲載写真では見えないけれども、ラダーには四角い切り抜きがある。誰かが記念(?)に切取ったのだろう。スピナー前半は、赤褐色でない別の色だろうか。 


 『囚われの日本軍機秘録』p.127に、白塗りされたラバウルの寄せ集め零戦が掲載されている。当時ラバウルにいた方から、この機体の話を聞いたことがある。この機は、普通に考えれば緑十字なのだが、その方の証言では赤い十字だという。武装は外し、患者輸送用なので複座に改造してあるのだという。 複座ならばどうやって乗り込むのか分らないし、日の丸に似た赤いマークというのも信じ難く、複座改造のゼロ戦との混乱や赤十字からの連想がこの証言を生んだとも考えられる。だが、現地にいていっしょに写真におさまっている方がそう言っているのだから、見たこともない者が「常識」という便利な言葉で否定するのはやめている。


 ここからはオマケで、模型的な想像になる。緑十字の「緑」って、どんな色だろうか。青と緑が現代感覚と相違しそうではあるが、それよりも物資がないことの方が影響したのではないか。 緑十字機は各地で用意されているけれども、モノがない現地で“緑で塗れ”となったら、機体に塗る「緑」を使うのではないか。私ならそうすると思う。あなたならば、どうしますか?



  Home ><日本航空史>緑十字機>2018年9月号

Vol.121 2018 September.   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved / editor Hiromichi Taguchi
                  田口博通 / 無断転載を禁ず/  リンクフリー
「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」

プラモデル模型製作記事


TOTAL PAGE