【エアコD.H.9A爆撃機】 先代のDH.9は1917年に初飛行しましたが、搭載した新型のBHP(ビアードモア・ハルフォード・プリンジャー)エンジン(200hp)は信頼性に乏しく、量産機ではアームストロング・シドレー・ピューマ(230hp)などに換装して、4,091機も生産されました。しかしそれでも更新すべきDH.4よりも低性能のため、駄作機として名を残します。1918年に米国製のリバティL-12エンジン(400hp)に換装すると、高性能機に生まれ変わり真価を発揮しました。
P-51を思わせる話を挟み、新生機はDH.9Aと呼称されて量産が図られます。
しかしエンジン供給量に制約があり、生産数は1,997機に留まります。
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【現存存機】 ヘンドンの英王室空軍博物館の展示機だけです。同機は1918年6月に生産され、シリアルナンバーはF1010。第110飛行中隊所属機となり、西部戦線に従軍しました。部隊での本来の機番は13ですが、縁起をかついで12Aとしています。
1918年10月5日、作戦行動中に対空砲火を受け、独軍前線後方に不時着、乗員2名と機体はドイツ軍に抑えられました。戦後はベルリンの航空博物館に展示されていましたが、WWⅡ時に英空軍の夜間空襲を避けてポーランドに疎開。戦後そのままポーランド空軍博物館に帰属しました。そして冷戦中の1977年に英空軍博物館とポーランド空軍博物館との間で、スピットファイアLFMk.XV1E との交換話が成立し、ゲットバックしたものです。
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