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誌上個展

<日本航空史> 海外飛行をした、日本人初の女性飛行士

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 西﨑キクさん。表題のように凄い方なのだが、私の地元の埼玉県でも残念なほど知る人が少ない。大正元年生まれというから、“空飛ぶ女学生”キャサリン・スチンソンさんが来日した大正5年にはまだ幼かったことになって、これに影響されたとするには無理がある。
それでも二等飛行機操縦士の免許を取得したときの番号は326番だそうだから、男女を問わず空を飛べる人が稀有な存在だったことが分る。


 西﨑キクさんの業績は、埼玉県の上里町にある上里町男女共同参画推進センターに展示コーナーとしてまとめられている。何枚もの写真パネルと「教壇から大空へ、そして大地へ」を題したリーフレットが用意されている。リーフレットによれば、奨学金を得て進学、小学校教師となったが、昭和6年に辞して飛行学校に入学、昭和8年に二等飛行機操縦士の免許を取得している。当時、女性が取得できる免許は二等飛行機操縦士が上限だった。郷土訪問飛行では13式水上機で利根川に着水。教え子から「今日の先生は最高に素敵だったよ!やれば出来るんだね。僕たちも頑張らなくちゃ」と言われたとある。 昭和9年には満州訪問飛行を達成、パリにある国際航空連盟からハーモン・トロフィ-賞と終身会員証31号が贈られたそうだ。その後、樺太への飛行は津軽海峡までで断念。国情が変わった昭和13年には満州の開拓へ入植、敗戦で帰国後には再び教職に戻り小学校教頭にまでなった。その後に農業に生きる道を選び、こちらでも農林大臣賞を受賞したという。昭和51年放送のNHK朝の連ドラ「雲のじゅうたん」では、物語を構成するモデルの一人となっている。



 掲載写真に写る機体はサルムソン2A2で、国内の2社でライセンス生産されていた、当時では一般的な飛行機。着ている服の手首と足首にあるY状の線は、閉じるためのファスナーだろうか。入手時の説明によれば、これは古いネガフイルムから焼いた新しい写真で、ネガフイルムの前所有者は戦前に日本飛行学校教官、東京航空株式会社に勤務されていた方とのこと。数年前に購入した写真で、同じものが上述のリーフレットにもある。
ロビーの一角に過ぎない展示コーナーではあるが、そこに行くためにだけに出かける価値がある。それにしても、素敵な笑顔だ。


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