帝国飛行協会は太平洋無着陸横断飛行を計画、そのための飛行機として川西がK-12桜号を造った。川西で洗練された水上機を次々と造り上げていた、関口英二氏が手掛けた。ところが航空局は、これでは目的地まで飛行できない、と判断した。その1、重心と揚力の中心がずれていて尾部が軽すぎる。その2、積む燃料が飛行に足りない。関口技師は、尾部が軽いのは救命ボートや食料などを積むため、燃料は規定の600キロでなく800キロを積むので充分に飛べる、という主張だった。
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桜号の中止原因のひとつである航続距離不足について、航研機とA-26という長距離飛行機を手がけたを木村秀政氏は、『飛行機の本』(新潮社、1962年)で、「その頃、記録的な長距離飛行を試みる場合は、普通の飛行機としては、危険なほど燃料を積んで、一か八かやったものである」「リンドバーグの飛行機だって、離陸してからしばらくの間は、強度が不足だったはず」と書き、さらにいろいろと記述している。航研機の世界記録飛行時も同様だったらしい。氏は、機体強度から逆算した燃料搭載量をもって不可とする、規則どおりの検査をした航空局に疑問を投げかけている。 |