朝日新聞は、大正14年が明けると同時に「欧州訪問大飛行」を発表した。飛行計画は、モスクワ経由でパリを目指すのだが、このころソ連は各国にシベリア飛行を認めていなかった。何としてもシベリアを通過するための飛行許可を得る必要があった。そこで、とりあえずモスクワを目的地にした。パリが目的地であることは誰が見ても分る計画でもあったが、まずモスクワを目的地にする。そこでソ連の気持ちを探ってさらにパリを目指すという、国際関係を反映した計画ではあった。使用機は、ブレゲー19A2型を改造した2機であった。国産機には妥当な飛行機はなく、一方でブレゲー19型には実績があったのだ。また2機であれば、どちらかが成功できる可能性が高かったからだ。 |
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機体の名前は朝日新聞紙上で公募した。3万7067通の応募があったという。欧州への初めての飛行なので「初風(はつかぜ)」、極東から西欧への飛行なので「東風(こちかぜ)」に決まった。
途中は割愛するとして、東京の代々木を大正14年7月25日に出発、8月23日モスクワ到着、ベルリンには初風が9月17日、東風は翌日到着。パリ到着は9月28日だった。飛行計画はさらに延伸してロンドン、ローマにも行っている。表敬訪問飛行なのでゆったりとした日程ではあるが、2機の大飛行は成功した。 |