第一次世界大戦のドイツ陸軍は、第二次世界大戦のドイツ陸軍と異なり、戦車を使いこなせませんでした。1916年9月イギリス軍の開発したMk.Ⅰ戦車がデビューし、塹壕の突破には成功したので、以後英仏は戦車開発を推進しますが、ドイツ軍は過小評価したと言われています。しかしチャーチルほど積極的ではないにしても、戦車配備を望み、戦時省第7課運輸担当(組織の頭文字A7Vが戦車の秘匿名になります)に戦車開発命令を出しています。
同年中に開発予算が認められ、アメリカのホルト社の農業トラクターを参考にした試作車が翌年1月に完成し、その後発注がなされます。しかしドイツの工業力は手一杯なため、最初のA7Vの納入は10月1日になりました。
ドイツ軍は翌年の春季攻勢にA7Vの投入を加えます。かくしてイギリス軍に遅れること約1年半の1918年3月に「突撃戦車A7V」はデビューします。そして4月24日には世界初の戦車戦を繰り広げました。
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エンジンはダイムラー社の100馬力のガソリンエンジンを二基搭載。乗員は車長、操縦手、機関手、機関手兼信号手、主砲要員2人、機関銃手12人の合計18名で、砲兵、歩兵、自動車兵から志願者を集めました。
A7Vの製造は21輌と極少数で(うち1輌は後継のA7V-Uの試作に流用)、現存しているのはブリスベンのクイーンズランド博物館に展示中の506号車 「メフィスト」だけです。他にレプリカが3輌あり、ドイツには506号車を参考に作られた563号車「ヴォータン」が、ムンスターの戦車博物館にあります。
イギリスでは走行可能なレプリカが作られて、ボービトン戦車博物館に展示されています。また旧ドイツ民主主義人民共和国でも映画用に製作され、現在はチェコにあるそうですが、後半の2輌は未見です。
なおクイーンズランド博物館は州都ブリスベンの中心部、ブリスベン川の南岸に位置し、アクセスは容易でした。また中心部には第二次世界大戦中のマッカーサー司令部のあったビルも博物館として公開されています。 |