F-86DはF-86Aを母体にしていますが、共通部分は少なく、外見も性能も異なります。そこでアメリカ空軍はYF-95の名称で発注、1949年12月12日の初飛行もYF-95名義でした。しかし翌年朝鮮戦争が勃発して、アメリカ財政の悪化により、YF-95では予算の付きそうにないので、名称をF-86Dと変えてF-86の派生型と装い、予算を確保した経緯があります。そこでF-86Dと同機の派生型のG、K、Lは、F-86とは別項で紹介されることが多くなっています。
F-86Dの開発目的は、機首にレーダーを装備し、エンジンにアフターバナーを追加し、機銃を廃止して空対空ロケット弾のみを装備する、単座の全天候要撃機で、時代の最先端を行く機体でした。
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航空自衛隊も1958年から供与を受け、122機受領しましたが、ほとんどが在日米軍の中古機体でした。自衛隊ではF-86Fの愛称を「旭光」としたのに、F-86Dは「月光」と別機扱いです。自衛隊のD型装備部隊は1968年に解隊され、退役した機体は全国各地で保存、展示されているのは、皆さんご存じのことと思います。
そのうちの一つに「知る人ぞ知る」麻績(おみ)村立聖博物館があります。
海外の航空博物館の情報サイトにも「Hijiri」の紹介が出ていて、私は全く知らなかったのでビックリでした。昨夏に訪問する機会があり、F-86Dの拝観をして参りましたので、ご報告します。
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