昭和6年というからおおよそ90年前、日米報知号の北太平洋横断飛行への挑戦とほぼ同じとき、「青年日本号」と名づけられた石川島(のちの立川飛行機)R-3という小さな複葉機が東京羽田の国際飛行場を飛びたち、大阪から日本海を超えて京城へ渡り、ハルピンからバイカル湖を超え、モスクワ、ベルリン、ロンドン、パリ、マルセイユ、ローマへと95日間をかけて飛行した。乗っていたのは法政大学経済学部2年生の学生操縦士栗村盛孝氏が正操縦士、副操縦士の教官熊川良太郎氏の2名だった。大ロシアのどこかでエンジンがパタッと止まったら、さあどうしよう、の時代である。
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これもすごいと思うが、同系機で早稲田大学、明治大学が満州国親善飛行もやっている。まだ続く。改良型のR-5で、関西学院大学、慶応大学が第2回の満州親善飛行をしている。このころ、いろいろな国の飛行家が日本を訪れている。市民レベルで海外を飛行機で訪ねる、そんな機運があった時代だったのだろう。それにしても私立大学やるじゃないか! |