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(Photo)T-72/T-72M-1

by  コルディッツ
博物館実機写真

 1991年は、高校生時代にウォーゲームのソ連軍機甲部隊指揮官をした者からすると、受難の年でした。年初の湾岸戦争で、いくらモンキーモデルとは言え、ソ連軍の主力戦車T-72が、アメリカ軍のエイブラムズ戦車に一方的に打ち負かされ、年末にはソ連邦が解体してしまったのですから!
 その後公開された資料から、クルクス戦で活躍した赤軍戦車とは、実はイギリスが援助したチャーチル戦車で、さらにクルクス戦自体は大戦車戦ではなく、T-34は超傑作戦車ではなかったことを知り、失望の日々でした。
 しかし現在に至ってみると、アメリカ相手に敢闘し、崩壊した数少ない国の一つとして、もう少しリスペクトした方が良いように思えて来ました。
 T-72は実用的で信頼性が高く、走攻守のバランスのとれた戦車車として、主に東側諸国に配備され、20,000輌以上生産されました。そして現在も現役であるばかりか、各国でその発展型が開発されています。と言うことで、T-72を紹介させて頂きます。


 T-72
 ムンスター戦車博物館にて     2012年11月撮影
 ドイツ民主共和国(DDR)は1990年に吸収され消滅…
 東ドイツの消滅も、高校生時代には想像もできないことでした。
 主砲は125mm滑空砲 2A46M、同軸に7.62mm機関銃。対空用に12.7mm重機関銃を装備。乗員は3人でした。


 81mm発煙弾発射機を12本砲塔に設置。
 コンパスとハンマーの国章は良いデザインだと思うのですが…  


T-72M-1
 パロラ戦車博物館(パロラ、フィンランド)にて  2018年7月撮影
T-72M-1は、日本語版Wikipediaではソ連、ポーランド、チェコスロバキアで
生産された輸出モデルで、装甲を厚くしたものとあります。ソ連崩壊までは
ソ連に忖度せざる得ないフィンランドもT-72を採用していました。
 博物館の英文では、生産国の表示はソ連のみで、トレーニング戦車と説明されていました。
 フェンダー上の砲弾は、左からAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)、
HEAT(対戦車榴弾)、HE(榴弾)、「薬のう」と説明書きがありました。
 冷戦の終結の意味は、T-72がストリップすることだったとは…










搭載されたエンジンは780hpのV-46-6ディーゼル多種燃料機械式過給器
液冷4ストローク、と説明書きがありました。



T-72M-1 + KMT 6M2 EMT7
 屋外に展示されていたT-72M-1は、1987年にチェコスロバキアで生産され、
ドイツ民主共和国で1987年から1989年にかけて運用されていました。
 KMT 6M2 プレート型地雷除去装置と車体前面にEMT7電磁地雷除去付加装備を付けています。




東ドイツ消滅後、フィンランド軍が教育用に使用していたそうです。



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