ロッキードL18ロードスターの初飛行は、WWⅡ開戦直後の1939年9月21日でした。試作機はロッキードL14スーパーエレクトラを改造したもので、開発目的は、多くのエアラインで採用されていたダグラスDC-3(1935年初飛行)の打倒でしたが、これは失敗しました。アメリカ国内のエアラインへの販売は31機、海外の英連邦系のエアライン4社に合計55機を販売、そしてオランダ領東インド陸軍航空隊に29機の販売と低調でした。しかしWWⅡが追い風になりました。輸送機として米軍に採用された上、レンドリースで英連邦諸国に配分され、またロードスターを母体に哨戒機PV-1、PV-2が開発されたのは周知のことと存じます。(以上、特に販売数は英文Wikipedia参照)
亡命ノルウェー政府もレンドリースで3機のロードスターを提供されました。
首都オスロの玄関口ガーデモエン国際空港の傍らにあるノルウェー空軍博物館に、WWⅡ時代の塗装をしたロードスターC-60Aが展示されています。
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塗装はBOACの運航でスコットランドとストックホルムを結んだG-AGIH機ですが、実際の同機は戦時中に事故で喪失、戦後にF-5との交換で入手した、英国~スウェーデンのフェリーとは無関係のC-60Aに、戦時の衣装を着せたものです。
気になってG-AGIH機をネットで探索してみたら、「Nordic Air Crash Mail」というサイトに行き着き、そこにG-AGIH機最後の飛行記録がありました。同機は1944年8月28日20:53にストックホルムのブロマン空港を離陸、スコットランドのLeuchars基地を目指します。しかし無線機の故障と航法上の問題でブロマンに引き返そうとして、翌日0時33分にスウェーデン領土内に墜落してしまいます。乗員3名と乗客12名は全員ノルウェー人で、うち乗客4名だけが燃える機体から救出されました。時期はパリ解放後で、ドイツ軍は退潮ムードですが、未だ北欧欧では強力な存在です。スウェーデンとの連絡は、ドイツ軍占領地の上空を非武装の輸送機で通過するしかなく、亡命ノルウェー政府にはスウェーデンとのルート維持は重要な課題だったと思います。地味ですが、戦争の一面を見せてくれたロードスターでした。
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