「エアガール」の誕生は昭和6年(1931年)らしい。後のスチュワーデス、今はキャビンアテンダントなどと呼ばれる仕事で、今でも女性あこがれの職場だ。「エアガール」の呼称は、そのころ「モダンガール」とか「ショップガール」という言い方があって、それにならったようだ。
この時は、応募141人から3名が採用されたそうだ。乗務は、東京~伊東~下田~沼津~清水を結ぶ水上旅客機。全5席の客室にエアガールが1名乗るので非効率は甚だしいのだけれども人気は上々で、いつも満員という。会社が輸送効率を上げようとエアガールを降ろしたところ、「契約違反だ」といわれと伝えられている。
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掲載写真は入手した雑誌切抜きで、元出典は不明だがエアガール第2次選考試験のときのもの。その結果はというと、『別冊1億人の昭和史 日本航空史』(毎日新聞社、昭和54年)に名前と共に写真が載っている。同誌には他にもいろいろ掲載されているので、興味ある方は見てほしい。文中には日本航空輸送のエアガールについて、「日中戦争が始まると“女の機内サービスは時局柄不適当”と軍部の横ヤリで彼女らも地上勤務に」とある。ほんの数年の華の職場だった。 |