コモンスウェル・エアクラフト・カンパニー(CAC)は1936年に航空産業が未発展だったオーストラリアに設立されました。同社の最初の生産機CA-1は、ノースアメリカン社からライセンス生産権を取得したNA-33(T-6テキサンの原型)で、初飛行は1939年3月27日でした。4月1日には零戦の初飛行ですから、当時のオーストラリアと日本の航空産業との間には相当な技術格差があったかと。
WWⅡ勃発でCA-1の発注量は増え、ワイラウェイ(Wirraway)の愛称を得、改良を重ねて1946年までに755機が生産されました。 |
|
ワイラウェイはアボリジニの言葉で「挑戦」を意味しています。
同機は練習機の他、哨戒機、地上攻撃機、戦闘機の役割をこなす多用途機で、さらにCA-12ブーメラン戦闘機の原型でもあります。
日本の大戦参加により、航空戦力の乏しいオーストラリア軍は、ワイラウェイを第一戦に投入し、米英から支援物資が届くまでの時間稼ぎができました。そのフィナーレは1942年12月26日のZERO撃墜です。殊勲のA20-103号機はキャンベラの戦争記念館に展示をされていましたので、ご紹介させていただきます。
※本稿は オーストラリア戦争記念館の表示とWikipediaを参照しました。 |