ホーカー・タイフーンの開発は1938年に英空軍省から発行された仕様書 F.18/37 に始まります。2種の2,000hp級の新型エンジン搭載の迎撃機を要求したもので、想定する敵はMe110(1936年初飛行)のような重武装の護衛戦闘機でした。エンジンはロールス・ロイス社製バルチュアとネイピア社製セイバーでしたが、バルチュアは開発中止になり、搭載予定のトーネードも運命を共にしました。
セイバー搭載型は1940年2月24日に初飛行に成功し、タイフーンと命名されました。しかし翌年の実戦配備後も、エンジンの不調、機体後部の構造上の欠陥、分厚い主翼が原因の貧弱な上昇力のため、迎撃機の役割は下ろされます。しかし1941年に始まったFw190Aによる低高度での英本土襲撃に、対抗し得たのはタイフーンのみで、ここで低高度での高速性能と運動性能の高さをアピールしたことが、
タイフーンの地上攻撃機への転生に繋がりました。
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一説ではタイフーンの生産数は3,330で、うち3,313機グロスター社で生産されました。レストア中の機体が数点ありますが、現時点で、完全な姿での現存機は、王室空軍博物館ヘンドンに展示されているMN235
号機のみとされています。今回の紹介させていただくのにあたり、博物館のハンガー3(旧本館)の照明が明るくなっていたので、本当に良かったです。
※本稿は「第2次大戦戦闘機」(ケネス・マンソン著 野沢正 監修鶴書房)を参照しました。 |