同じ新潟県だが、海岸沿いの名立にある道の駅に行ったときに、そこから見える漁港に祠を見つけた。漁の安全を祈るものかと思い、見にいった。それは漂着した機雷の爆発によって亡くなったたくさんの子供を含む63人を祀ったものだった。事件は終戦から4年も過ぎた昭和24年3月30日に起こったのだそうだ。祠には、犠牲になった方々の名があった。そこには、新しいペット飲料が供えられていた。名立では戦争の記憶が今日に伝えられているのだ。 |
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終戦前、米軍は日本を囲む海へたくさんの機雷を投下していたそうだ。これもB-29が落としたのだろうか。だが日本軍も機雷敷設を行っておりソ連からの漂着もあったようで、名立で爆発した機雷の来歴は分らなかったらしい。破片の一部は近くのお寺に保存されているようで成分分析をすれば製造元を探ることは出来そうだが、その意味はないだろう。
B-29も大型爆弾も機雷も機械だから、それ自身に何か思いがあるわけではない。航空史は機械の歴史ではなく人の歴史であり、何が起こったのかも人が伝えることである。 |