Home > (Photo)F-102A in Isutanbul<博物館実機写真<2020年4月号

 

(Photo)F-102A in Isutanbul

by  コルディッツ
博物館実機写真

 コンベアF-102Aデルタダガーの開発は、決まって失敗事例として採り上げられます。最初のYF-102は基本設計に問題があり音の壁を突破出来ず、そのため量産準備型製作を同時進行する「クック・クレイギー・プラン」方式が、最悪事例となります。その後エリアルールを採用した改設計のYF-102Aが音速を突破しましたが、この遠回りは高く付きました。またパワー不足のため、本来の目的であるソ連の核搭載爆撃機迎撃には不向きでした。
 米空軍採用後、ベトナム戦争で北ベトナム空軍のIL-28対策に出陣しますが、撃墜0で14機を失います。喪失機の1機はMiG-21のK-13ミサイルによるものです。そして最後は無人標的機として消滅したセンチュリーシリーズ中、最も不運な機体という印象があります。
 しかしトルコ空軍に供与されたF-102は、意外な活躍をしています。F-102が海外供与されたのはトルコとギリシアの2カ国だけで、対ソ包囲網の一環だった訳ですが。両国は仇敵同士でもあり、キプロス紛争(1974年)で両国の交戦した時には、互いにアメリカ製の兵器を繰り出しました。
F-102には、トルコ空軍のF-102がギリシア空軍のF-5を撃墜した説と、ギリシアのF-5がトルコのF-102を撃墜した説とがあります。トルコの主張が正しいとすると、F-102が敵機ーアメリカ産の機体ですがーを撃墜した唯一の例になります。
 トルコ空軍は1968年に合計50機のF-102AとTF-102Aを供与され、1979年まで運用しました。イスタンブール航空博物館にF-102AとTF-102Aが各1機展示されているはずですが、私の拝観時にTF-102Aはありませんでした。
隣の廃港になったアタチュルク国際空港の敷地内(立ち入り禁止)に、野外展示スペースが拡張されていたので、そちらにTF-102Aは置かれたのかもしれません。TF-102は操縦席を並列複座に改造したので、その異様な風貌を目に出来なかったのは残念です。
※本稿は「大戦後 戦闘機」(K・マンソン著 湯瀬謙三訳 野沢正監修 鶴書房 昭和45年8月10日)とWikipedia、博物館の掲示を参照しました。




  Convair F-102A Delta Dagger  55-3386
 イスタンブール航空博物館にて          2019年3月撮影
 ネットで以前の展示状況を見ると、展示機の国籍マークはラウンデルの時もあったようです。





極細胴体と極端に切り詰めたようなキャノピー、改設計の苦労を窺わせますね。






ウェポンベイはクローズ状態で残念。
 F-102は固定機銃はなく、ファルコン・ミサイルとマイティマウス・ロケット弾を装備します。マイティマウスはウェポンベイの扉を発射機にしているので、是非見たかったのですが。








パワープラントは P&W J57-P25 アフターバーナー付ターボジェット。








Home >(Photo)F-102A in Isutanbul<博物館実機写真<2020年4月号
Vol.140  2020 April.    www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
                 editor Hiromichi Taguchi 田口博通 /無断転載を禁ず  リンクフリー

「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」


プラモデル模型資料記事


TOTAL PAGE