シュナイダー・トロフィー・レースは、1913年から1931年まで行われた、水上機の速度記録を競う国際的なレースです。国単位における航空協会が主催し、参加する民間事業でしたが、やがて国家の威信を賭けたレースに変貌しました。最後は1931年に英国が3回連続優勝し、トロフィーも永久保有となり修了しました。
しかし、それまでにイタリアとアメリカが連続優勝して、王手をかけたことがあります。
アメリカの王手は1925年、ドーリットル操縦のカーチスR3C-2複葉水上機で優勝した時です。翌1926年にアメリカで開催されるレースも、R3C-2をパワーアップしたR3C-3で参加するアメリカ有利と想われていました。しかしイタリアの権力者ムッソリーニ首相は、レースに国家の威信がかかるとして、アエルマッキ社をバックアップします。アエルマッキ社はこれまでの単葉飛行艇の参加を止め、カーチス機にインスパイアされたのか、マッキ
M.39単葉水上機を製作します。 |
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同機は800hpのフィアットAS.2 V-12液冷エンジンを装備、1926年7月6日に初飛行に成功し、レース機3機と練習機2機が製作されました。
11月13日に開催されたレースには、その3機が参加します。3機のうちMM.75号機は故障でリタイア、MM.74号機は3位でしたが、 マリオ・デ・ベルナルディ少佐操縦のMM.76号機は、アメリカ機を破り、396.698km/hで優勝しました。4日後にはベルナルディ少佐はMM.76号機で416.618km/hの世界記録を打ち立てます。
こうしてつかの間の一瞬、イタリア航空界は世界の頂点に立ちました。しかし以降のレースは英国の3連勝となり、トロフィーは大英帝国の保有物となりました。
※ 本稿は博物館の説明と「大空にいどむ」(J・テイラー著 橋本英典訳 岩波書店 昭和45年)、Wikipediaを参照しました。 |