XJ40の開発の遅れから、XF4D-1はJ35エンジンで試験飛行を続けるしかなった。このため試験スケジュールにも遅れが生じ、やっと届いたXJ40も推力不足。結局海軍はXJ40を諦め、プラット・アンド・ホイットニー社のJ57-P-2を量産機に搭載する決定を下した。このためスカイレイの試験は量産初期ロット機も投入して実施され、部隊配備も遅れ、これが生産機数を少なくする結果につながっていく。J57は推力も大きくスカイレイの本来の性能を引き出したが、高空でのアフターバーナーの動作不良が発生し、インテイクダクトの形状変更などの改修が行われた。その結果スカイレイは本来の性能を取り戻したのである。 |
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1953年10月3日、カリフォルニア州にあるノースアメリカン社の3㎞コースを4回フライパスし、平均速度1,212.7㎞/hという世界速度記録を樹立した。更に部隊配備後の1958年5月22日にはカリフォルニア州ポイントマグーで高度3,000m、6,000m、9,000m、12,000m、15,000mまでの世界上昇速度記録を打ち立てている。一方でAero13F 武器管制システムの装備によってスカイレイには全天候性能が付与された。スカイレイは固定武装である20mm機関砲4門の他、2.75in
FFARやAIM-9Bサイドワインダーを搭載できるが、全天候下でのこれらのウェポンの射撃管制が可能で、その上昇力と併せ要撃機として最適であった。 |