マーチンB-26は、アメリカ陸軍航空隊が1939年初頭に出した高速中型爆撃機の仕様に応じたものでした。その年9月に第二次世界大戦が勃発したので、米軍は試作機なしで1,100機の量産命令を出します。1940年11月25日の初飛行の成績は上々で、翌1941年2月から部隊配備が始まります。2,000hpのP&W
R-2800-43 ダブルワスプ・エンジンを装備、空気抵抗の低い魚雷型胴体と相まって、500km/h以上の高速を出しましたが、着陸速度も210km/hと高く、着陸時の事故が多発し、パイロット達から「ウィドーメイカー」と呼ばれて嫌われました。大戦中にB-26使用中止の審議が4回開催されましたが、その都度、戦時中なので生産中止は出来ないという結論で、1945年3月まで生産は継続します。 |
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総計で5,000機越えるB-26が量産されましたが、1948年に制式外になり、ダグラス社製A-26攻撃機が跡目を襲名しました。
B-26の現存機は、RAFも相当使ったろうに、英国にはないようで残念です。2008年2月にパリ近郊のル・ブルジェ航空博物館で自由フランス空軍塗装のB-26Bを撮影したので、ご紹介させて頂きます。現在この展示機は米軍塗装にインベンション・ストライプを巻いて、ノルマンディの古戦場「ユタビーチ博物館」に貸し出し中です。
※ 本稿はトミー/エアフィックスの解説を参照しました。 |