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>(Photo) Matilda Ⅱ in 1940 <博物館実機写真<2020年12月号
(Photo) Matilda Ⅱ in 1940
by コルディッツ
博物館実機写真
1940年は歩兵戦車マチルダⅡ大活躍の年でした。5月21日のフランス戦線、アラスで快進撃中のドイツ軍装甲部隊の脇腹を突き、武装親衛隊自動車化連隊「トーテンコプフ」をパニックに陥れ、ロンメル将軍指揮下の第7装甲師団に損害を強います。
マチルダⅡは低速でしたが、装甲厚を生かしてドイツ軍の37mm対戦車砲陣地を蹂躙しました。対してロンメルは88mm対空砲をマチルダⅡに向けますが、このことをロンメルの独創と称えるのが私の高校生時代の常識でしたが、無論誤りです。
アラス戦に投入されたマチルダⅡ戦車は16輌で、ロンメルの的確な戦闘指導により撃退されますが、ドイツ軍にショックを与えて進撃に待ったをかけたので、ダンケルクからの撤退成功に功績ありと評価されることがあります。
12月9日の北アフリカ戦線、9月にエジプト侵攻し、地中海の要衝シディ・バラ二を占領して、その外郭に砦を築いて居座るリビア駐留イタリア軍に対して、英軍が反撃開始します。その先鋒は50輌のマチルダⅡを配備された第7王立戦車連隊でした。
同連隊のマチルダⅡはイタリア軍のL33軽戦車やM11/39中戦車を、主砲の2ポンド砲の徹甲弾で蹴散らし、イタリア軍の防御ラインを崩壊させ、翌年2月に完遂する「コンパス作戦」の勝利に貢献しました。1941年の北アフリカ戦線も「戦場の女王」のニックネームで活躍しますが、イタリア軍大敗北の火消しに登場したロンメル将軍と88mm対空砲/対戦車砲のペアに直面し、大損害を蒙り後方に下がります。
※ 本稿は「第二次世界大戦 上」(アントニー・ビーヴァー著
平賀秀明訳 白水社)を参照しました。
歩兵戦車マチルダⅡ T10245
帝国戦争博物館(ロンドン)にて 2008年7月撮影
マチルダⅡ戦車を初めて見たのは帝国戦争博物館という方が多いと思います。同博物館のホールに鎮座するマチルダⅡは「戦場の女王」に相応しい「威厳」がありました。同博物館の改装後はダックスフォードにでも異動したのか、展示されずで残念です。
歩兵戦車マチルダⅡ T10495
戦車博物館(ボービントン)にて 2010年7月撮影
マチルダで有名なダズル塗装を高校生の時にフジミの76で試したことがありますが、もの凄く軽く見え、慌ててミドルストーンで塗りつぶした黒歴史を思い出しました。
昨夏に再拝観をしたところ、何度とダズル塗装でなくなっていました。T10495号車は大戦中は戦車技術学校配属なので、考証的には正確になったようですが、寂しかったです。 2019年9月撮影
歩兵戦車マチルダⅡ T5734
軍事博物館(ブリュッセル)にて 2009年12月撮影
ベルギーの博物館に展示の緑色迷彩のマチルダなら、1940年
に英軍が残した物と思いたくなりますが、調査不足で不明です。
L3(カルロベローチェCV.33)
戦争記念館(キャンベラ) 2018年4月撮影
英国製カーデンロイドMk.Ⅳを祖にするイタリアバージョン。
マチルダⅡの遠戚にあたると思いますが、その関係は一方的な「斬られ役」「引き立て役」かと。
アンザック・デイの行進
戦争博物館(キャンベラ)前にて 2018年4月撮影
オーストラリア第2の国歌と形容される「Waltzing Matilda」とマチルダ戦車が一体視されることがありますが、これは全く別物。歌のマチルダは寝具の毛布、ワルチングは「あてもなくさまよい歩く」の意味です。でもアンザック・デイの行進曲の演奏を聞いていて、思い浮かぶのはマチルダⅡでした。
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