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誌上個展

<日本航空史>  “ラドンだ!”

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 コンコルドの日本初飛来は、1972年6月だそうだ。その日、TVニュースで着陸進入シーンを見た。「ラドンだ…」それが第一印象だった。デルタ翼機の特徴である大きな機首上げ姿勢が印象的だった(これで私の年齢も分かるってものだ)。
 コンコルドは日本航空も購入を予定していた。『航空ファン』1968年7月号の裏表紙にある広告は「いま始まろうとしている 新しい空の時代 日本の翼がさらに大きく より早くなります」のコピーとともに導入予定の5機種の日本航空機が描かれている。尾翼に数本の青い帯がある日本航空塗装の時代だ。
 下から紹介すると、「1968年6月就航 DC-8・62 発注記数 8」。次は「1969年就航予定 DC-8・61 発注記数 2」。「1970年就航予定 B-747 発注記数 6」とある。コンコルドは上から2つめで、「1972年就航予定 SST・コンコード 発注機数 3」とある。では最上部は?「1975年頃就航予定 SST-B2707 発注記数 8」が答え。コンコルドの最大座席数は136、SST-B2707は300とある。高速か否かはあっても、大量輸送時代が趨勢であったことは明らかだ。仮に就航したとしても、コンコルドは敗れる運命だったように思う。



 このころの日本のプラモデル業界では、ニットーが旅客機を次々に開発していた。ニットー1/100コンコルドは、『航空ファン』1971年2月号にキット紹介がある。記事中に「現在は原型1号機と2号機によるきびしいテストがくりかえされている」とある。大きな箱のキットだったように記憶する。ニットーはこのキット以前に、1/132、1/250、1/420も開発していたそうだから、コンコルドは人気の飛行機だったのだろう。1/100キットがネットオークションでかなりの高値で売り出されているのを見たことはあるが、入札はあったのだろうか。蛇足だが、『航空ファン』1971年2月号には、Tu-144の写真も1枚掲載されている。ニットーはこれも製品化していた。



 掲載のボケボケ展示物写真は、1971年にブルーエンジェルスが来日したときの航空宇宙ショーのときのものだと思う。残念ながらこのショーに私は行っておらず、兄が撮った写真のはず。コンコルドらしい金属製モニュメントは、羽田空港近くにある天空橋にある。つい最近このモニュメントを知ったことが、「日本航空史」に今回のコンコルドが登場するきっかけになった。


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