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誌上個展

<日本航空史> 「煙草が立てられます」 バイカウント導入

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 机の横にある書棚の上に積んであるプラモデルの山に、つぶれそうな箱を見つけた。それはマケット社製のバイカウントだった。そこで今回は、バイカウントにした。


 バイカウントは全日本空輸(以下、全日空)で使ったことがあることは知っているのだが、私には印象がまったくない。ANAグループのホームページで「運航機材の歴史」をみると、1961年7月から1969年8月まで使ったとある。私に印象がないのは、年齢的な理由だと思う。これ以外にリースでも使ったようだ。このとき同時に、全日空はフォッカー F-27 フレンドシップの使用も始めている。つまり全日空は、ピストン往復運動のレシプロエンジン機から、タービンエンジンを使ったターボプロップ機に向かったということだ。
 バイカウントは特に振動が少なかったようで、「テーブルの上に煙草が立てられます」と宣伝したという。『航空情報』1960年8月号の座談会で木村秀政氏(航研機やA26で有名)が「振動のないことと静かなことはたしかにとび抜けてますね。同じターボプロップ機でもブリタニアやエレクトラになると振動も爆音も相当ひどいですよ」と語り、続いて黒江保彦氏(キ44かわせみ部隊で有名)が「私もイギリスで軍用のブリタニアに乗りましたが、かなりひどかったようにおぼえています」と語っている。



 全日空のバイカウント本格導入のお披露目は、1961年7月6日の羽田飛行場だった。上掲「運航機材の歴史」に「羽田に集まった関係者、報道陣の上空で、アクロバットに近いデモンストレーション飛行を実施、高性能ぶりを発揮した」とある。高性能ぶりを発揮、とは上品な表現。このときバイカウントは着陸する前に、翼上面がハッキリ見える低空旋回やエンジン3基を止めるといった派手なデモンストレーションを行なったのだ。今では考えられない。この様子は『航空情報』1960年9月号に写真で紹介されている。
 一方、『航空情報』の同号は「いよいよジェット時代」の見出しで、日本航空DC-8の1番機の羽田飛行場到着も報じている。全日空のバイカウント導入時期は、民間航空界がプロペラ機から本格ジェット旅客機へと一気に進むさなかでもあったのだ。



 さて、冒頭のマケット社製のバイカウントだが、これは旧フロッグのキット。東欧諸国から旧フロッグのキットが輸入されるようになり、袋入りデカール無しや怪しい絵でクタクタの箱から、ようやくそれらしい絵の箱に入るようになったころに手に入れた。「今しかない」と思って「ワールドホビーショップはせがわ」さんに注文した。このお店ではこれ以降に入荷した様子がない(と思う)から、購入は正解だった。ところが箱を開けてビックリ、表面モールドには溶けて崩れたようなドロドロ部分があり、金型が錆びていたのかと思う感じ。金型の痛みは既に使用限界を超えていたようだ。
 購入以降、2回くらい蓋を開けたが、作ることなく積んである。箱が歪んでも、まだ、作る気持ちになれない。


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