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誌上個展

<日本航空史> YS-11

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

  オリンピックのためだろう、首都高速道路や新幹線の話題を目にすることが多いように思う。有名な飛行機は皆が知っているので本「日本航空史」でなかなか扱いにくいが、この機会にYS-11を選んでみた。1964年の東京オリンピックでは、全国各地を聖火が隊列を組んで巡った。YS-11最初の民間使用が、全日空が試作2号機を借りて行ったオリンピック聖火輸送なのだそうだ。縦長の掲載ハガキがオリンピア号の雄姿。



 さて試作1号機だが、航空情報別冊『日本航空機ガイド Vol.11 民間輸送機』(昭和48年発行)によれば、型式証明取得のための改修で主翼上反角を2度増している。主脚は後傾させ10cm後退させている。私は20年ほど前にNHK「プロジェクトX」で主翼上反角を増したことについてふれたときに、番組で「プラグを入れろ」と言ったように記憶している。「プラグを入れろ」と言うが、主桁との連結はどうなったのだろうか。エンジンも少し傾くはず。主脚も開いてしまうがこれは後傾や後退があるので改修しないわけにはいかない。上反角の変更は簡単でないと思う。番組では一言の名案みたいな表現だったが、現場は大事件だったのではないか。「プロジェクトX」は再放送が進んでいるので、そのうちにYS-11もやってくれるだろうから、そのところを再確認したいと思っている。 



 YS-11というと私には営業の失敗で生産終了のイメージがあるのだが、『日本航空機ガイド』によれば、製造機数ではフォッカーF.27、アントノフAn-24、ホカーシドレーHS748に次いで世界第4位だという。旅客機としての退役時には世間でいろいろ取り上げられたが、私の職場は航空自衛隊入間基地の飛行ルートに近いために、その後もYS-11が飛ぶ姿は普通に見られた。そのキーンというエンジン音を聞くたびに、「飛龍もキーンといったらしいし、細長い翼も似ている。飛龍もこんな感じだったのかな」と毎回必ず思った。飛行する姿を見る機会は徐々に少なくなっていたが、それも終わりだ。
YS-11の1号機は博物館入りできたが、西武新宿線「航空公園」駅前には以前からYS-11が置いてあり、特にみる人もいない。YS-11の1号機は博物館入りを知ったときに「見に行こうか」と思ったと同時に、「航空公園でいいか」とも思った私である。 



  YS-11のプラモデルは、イマイが金型を起こし後にバンダイの発売になった1/72キット、ハセガワの1/144キットが知られているが、オオタキの100円か150円くらいの小さなキットがあったことを覚えている。このキットは胴体が太くて、機首周りには寸詰まり感があったように思う。「もしかしたら」なのだが、これは胴体が太くて操縦席あたりがもっさりしていたモックアップに似ているように思うのだが、考えすぎだろうか。


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