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誌上個展

<日本航空史> 三角翼はベトナム戦争の記憶 F-102

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム



 私が小学校にも通っていない子どものときの微かな記憶のなかに三角翼がある。そのころ「三角翼」と呼んでいたジェット機が横田基地へ離着陸する姿を下から見ていたことを覚えている。飛行機の名前も知らないころなので「三角翼」なのだが、たいてい2機1組で飛んでいたように思う。「デルタ・ダガー」という名前は、もしかしたらプラモデルを作るようになってから知ったのかもしれない。
そのころ叔父が横田基地のゲート近くでお店を営んでいたし、地区のバス旅行というと横田基地内が良く見えるドライブインに必ず立ち寄ったので、たまには横田基地を覗く機会があったのだが、デルタ・ダガーの記憶というと下から見た姿になってしまう。
そのころから、ジェット戦闘機が次々といわゆるベトナム迷彩化した。三角翼機も、記憶のなかではベトナム迷彩だったように思う。つまり、本Web誌の2013年3月号に掲載させていただいた、わざわざ造った国鉄八高線のトンネルの上を飛ぶ水色のデルタ・ダガーの印象は、ちょっと記憶と相違する。因みにこのトンネルは、八高線電化の際に蓋部分が除かれたが、壁は残っている。電車に乗っていると「ここだ」と分かる。



掲載の3枚は、もちろん私が撮ったものではないが、横田基地かな、と思っている。よく見ると「450」機はエアブレーキを開いていて、「333」機と同じ場所から撮っている。このときも複数機を同時に運用していたのだろう。背後にはベトナム迷彩のF-101ブードゥーが写っている。T字型の大きな尾翼はC-141スターリフター、C-135なのかB707なのかわからないが、その機首も見える。
このとき米軍の基地は、べトナムと、戦争と、直結していた。日本の空はベトナムの空につながっていた。それなのに、遠い遠いベトナムというところで戦争をしている、そこに「三角翼」が飛んでいく、子どもだったのでそんな程度にしか思っていなかった。



蛇足だが、横田基地の西側に国道16号線があるのだが、戦時中の道の位置は、現在は基地内にあって国道16号線と並行する道がそうだ、と聞いたことがある。勝手に道を取り込むように基地を拡張して柵をたて、ブルドーザーでどんどん道を造っていったのだと話してくれた。ホントがどうか確かめていないが、戦争に負けるとか占領とかは、そんなものなのだろう。




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