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(Photo) F-84G イン 台湾 & タイ

by  コルディッツ
博物館実機写真

 リパブリックF-84は、P-47の後継機として開発されたジェット戦闘機で1946年に初飛行しました。直線翼と胴体後半部の絞りに強い個性を感じます。G型は直線翼型の最終型で、核爆弾搭載が可能です。F-84は朝鮮戦争に於いて、P-47の後継機に相応しく地上攻撃に大活躍をしました。G型の総生産数は3,025機と言われ、米軍のみならず、西欧諸国、中華民国、タイなど冷戦の最前線に位置する国々にも供与されました。
※ 本稿は博物館の標示、「大戦後戦闘機」(鶴書房)、「航空機第二次大戦後の軍用機」(小学館)、中華民国外交部HPを参照しました。


 Republic F-84G Thunderjet F-84054/23003
 航空教育展示館(高雄)にて      2018年12月撮影


 1953年に中華民国空軍は、アメリカ空軍から余剰のF-84Gを供与されます。F-84Gは同空軍軍にとって最初のジェット戦闘機でした。
 1956年7月21日、第4戦闘機大隊のF-84Gが福建省上空を偵察中に人民解放軍のMiG-17と交戦します。第二次世界大戦中に開発されたF-84は、ドイツ由来の後退翼理論を生かせず、その性能はミグ機に劣りますが、歐陽中尉(132号機)は2機を撃墜、2機を撃破して、英雄になりました。中華民国では「721馬祖空戦」と呼称されます。
(歐陽中尉の名前は私のPCでは打てず、申し訳ございません。英語表記はOuyang Yi-Feng。大尉とする資料もあり、1930年生まれで、2020年に台中市で亡くなりました)





 下面から仰ぎ見るのは珍しいので大歓迎ですが、主翼にあるはずの主脚収容庫扉が見えません。展示用に手を加えたのでしょうか。



 1958年の第二次台湾海峡危機にもF-84Gは顔を出していますが、MiG-15やMiG-17に撃墜され、F-86Fの活躍と対比して、時代遅れの 評価は止む得ないかと。F-86Fはこの危機のまっただ中の9月24日に、 サイドワインダー空対空ミサイルを用い、人民解放軍のMiG-17を、 損失0で25機撃墜するという大戦果を挙げました。
 中華民国空軍は246機のF-84Gを、1953年から1964年まで運用しました。



 Republic F-84G Thunderjet kh16-/1231/878
 王室タイ空軍博物館(バンコク郊外)にて 2017年6月撮影



 タイ空軍は31機(34機説あり)のF-84Gを1956年から1963年まで
運用しました。F-84Gは最初に導入されたジェット戦闘機でした。
 博物館前にバンコク・スカイトレイン(BTS)の「空軍博物館駅」
が2020年にオープンしたので、バス路線と停留所探しの苦労が無く
なりました!





 機首の青いバンドとストライプは、ドン・ムアン空港をベースにしていた第12戦闘機大隊の部隊マークのようです。





 Republic F-84G Thunderjet 51-11209/MU-5  2012年8月撮影
 ノルウェー空軍博物館(ガーデモエン、オスロ郊外)にて
 再掲になりますが、キャノピー部分のクローズアップです。







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