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(Photo) Avro 504K PartⅡ

by  コルディッツ
博物館実機写真

 アブロ504の初飛行は1913年7月なので、今年は生誕110周年です。
そこで2回目ですがアブロ504を紹介させて頂きます。
 英国航空機のパイオニア、アリオット・バードン・ローは1908年にⅠ型複葉機製作を始め、1913年に504で実用機製作に初めて成功しました。1号機の5年後に504号機になりますが、Ⅰ型から数えて6番目を「なぜかいきなり500型と命名したため、こんな番号になったものである」と木村秀政教授が「世界のクラシック機」(朝日 新聞社)に記しています。
 アブロ504は第一次世界大戦初期に偵察機、戦闘機、爆撃機として運用されますが、「世界のクラシック機」によれば「時速100kmの低速では、第一線での活躍はやはり無理で、1914年8月フランス戦線に出動早々地上砲火を受け、イギリス空軍被撃墜機第1号というありがたくない名声を勝ち得た」そうです。
 1916年にJ型、1918年にK型が練習機として採用され、大戦中に8,000機以上が生産され、英国航空史を飾る傑作機となりました。
※ 本稿は博物館の標示、「世界のクラシック機」(朝日新聞社)、「続々ヒコーキの心」(講談社)を参照しました。

 Avro 504K D7560    (再掲)
科学博物館(ロンドン)にて        2016年4月撮影



 科学博物館の機体はクレルジェ130hpを搭載し、1917年に生産されました。

  Avro 504K H2453 (旧G-CYFG)
 カナダ航空宇宙博物館(オタワ)にて    2004年8月撮影


 Avro 504K A3-4 (旧H2174)
 戦争記念館(キャンベラ)にて       2018年4月撮影




 1918-1919年にオーストラリアに送られ、1929年に記念館に寄贈
されました。1965年にカンタス航空に貸し出され、カンタス航空
最初の機体にレストアされました。その後元の状態に戻され、
1987年に戦争記念館に帰還しました。 


   「アブロ504Kは運動性がよく、方向舵の効きがすぐれ、しっぽを振ることが得意だったといわれる。これらを生み出す形態的原因は、 アブロの図面を見るとすぐ思いあたる。すなわち、胴体がきわだって長く、とくに水平安定板が大きい。その上に、複葉上下翼が著しい食いちがいを持っているから、前方の練習席から着陸時に地面がよく見えて、接地が楽であったことだろう。主翼組は上反角と食いちがいによって、まず模範的空気力学センスといってよい」と佐貫亦男教授もベタ褒めです。
「続々ヒコーキの心 アブロの武勲」(佐貫亦男著 講談社)より。



 両主翼端下面のフープ(輪)と長いスキーみたいなソリをつけ、
着陸を容易にしていることを「まるで練習機になるために生まれた
ような機体」とも、佐貫亦男教授は大絶賛しています。
「続々ヒコーキの心 アブロの武勲」(佐貫亦男著 講談社)より。





 1914年11月21日にイギリス海軍航空隊の3機のアブロ504が、ボーデン湖畔のフリートリッヒハーフェンにあるツェッペリン工場を奇襲爆撃しました。出発基地のベルフォールから200kmの距離があるため、操縦士だけの飛行です。各機4発の9kg爆弾を搭載し、攻撃高度360m、時速100kmで昼間侵入です。数発の直撃弾を与え、空爆は成功しましたが、高射砲により1機が撃墜されます。その操縦士ブリッグスは捕虜になりますが「ドイツ軍はブリッグスを英雄扱いにしたというから、まだよい時代であったと同時に、ツェッペリン基地も壊滅したわけではなかったろう」との事です。
「続々ヒコーキの心 アブロの武勲」(佐貫亦男著 講談社)より。



 現在のフリートリッヒハーフェンには「ツェッペリン博物館」があります。写真背景右手の白い建物です。
 ボーデン湖にて 2009年4月撮影



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