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特集 日本

 川西 紫電11型甲 (Revell 1/32)

by 翔バナイカイ 大山 盛幹



 今年になって、模型製作の方針を変えました。今までの製作ペースと私の年代の平均余命を考え合わせるとそんなに多くの模型が作れるわけではないので、絶版キットを大切に持っていても墓場まで持っていけないので、絶版キットであっても作りたいキットを積極的に作っていくことにしました。
さて、今月のテーマは「日本」です。そこで、今回はこの方針の第一弾として在庫の中から、Revell 1/32 紫電11型甲を製作しました。



 紫電は、水上戦闘機「強風」を仮称1号局地戦闘機として陸上機化した機体で、エンジンを火星から誉に換装し降着装置を付けたもので、早期の完成のために主翼は中翼形式のままとされました。このため、主脚が異様に長いものとなり、主脚格納のため一旦長さを縮めて引き込むという伸縮式の複雑な機構となりました。この主脚の機構と誉エンジンに起因する不具合が多く発生したとのことです。それでも、自動空戦フラップを装備し雷電よりも操縦しやすかった紫電は、零戦に代わる機種として1,007機が生産されました。 



 紫電の大量生産について、故 佐貫 亦男 先生は「続 ヒコーキの心(講談社刊 1975年)」で「強風をそのまま陸上機に改造する道よりも急がば廻れの必要があった。焦りはゼロ戦と交替する機体がなかったことによるものである。(213頁)」と書かれています。そこで、本格的に紫電を再設計し、主翼を低翼化して主脚を短くし、胴体を40㎝延長した紫電21型いわゆる「紫電改」に発展していきました。 



 今でこそ紫電11型甲のキットは、1/48ではArii(旧Otaki)、Tamiya、Hasegawaから、1/72ではTamiya、Aoshima、MPMから発売されていますが、1/32のキットは今でも今回取り上げたRevell のキットが唯一のキットです。このキットは、1976年当時Revell の日本総代理店であったグンゼ産業(現GSIクレオス)が開発・発売したもので、その後Revell の日本総代理店がTakaraに移ってからも販売されていました。
 さて、50年ほど前のキットですので、1/32といってもパーツ数は102パーツと多くなく要領よくまとめられており、プロポーションは良好で主翼のねじり下げもちゃんと再現されており、凸モールドで全面に上品なリベットが打たれています。その一方で、排気管はバラバラで18個の気筒につなげるようなパーツ構成となっています(このパーツをバリ取り、塗装でランナーから切り離した際に、パーツ番号を書いた短冊状のテープを巻いておくとパーツの取り違えが防げます)。



  製作は特に難しいところはなく、サクサクと進みますが、胴体、カウリング、主翼パーツのプラ厚が薄いため接着に注意が必要で、胴体は内側にプラ板を貼って補強しておきました。フラップはチョットした改造で下げ状態が再現できますが、作例では上がった状態にしました。しかし、翼下の機銃ゴンドラはフラップが下がった状態になっていますので、フラップは下げた状態で製作するのが正しいようです。主翼には桁パーツが用意されていますが、主翼半ばまでの長さなので、外翼の接着面割れ防止のために先端まで桁を追加しました。



 主脚収納庫は主翼の桁が後部の隔壁になるようになっています。最近のTamiya、Hasegawaのキットと比べると再現が今一で、モデルアート1976年5月号42頁には「主脚収納部-明らかに手抜きと思われる部品構成で物足らない。(中略)紫電の脚収容部がキットのような形式であったとは考えがたい。このままでは見られないということではないが、完全主義者は脚室の自作に励むしかあるまい。」と書かれています。そこで、私は完全主義者ではないですが、0.3㎜プラ板で収納庫を自作しました。自作パーツは片側22パーツのプラ板からなっており、主翼の上下パーツの接着後、収納庫の壁になる大きめのプラ板を接着した後、現物合わせで高さを整えていきました。主翼前縁部が前縁の接着だけでなく収納庫の前後に隔壁が作られることによりガッチリと仕上がります。胴体側脚カバーの作動アームは真鍮線を使用しました。コクピットは、開口部が小さいため、完成後内部があまり見えませんのでキットのままとしましたが、座席は縁が厚くゴツイため薄く削ってあります。シートベルトは、Finemoldの紫電用シートベルトを使用しました。コクピット部分は左右胴体パーツ接着後に取り付けられるようになっていますが、コクピットセクションの脱落防止のためランナーでつっかえ棒をセットしています。



 エンジンは9パーツで後部気筒のプッシュロッドもパーツ化されていますが、カウリング全面開口部が小さいので、プラグコードを追加するだけで十分です。エンジン中央部のギアハウジングは、Tamiya、Hasegawaのキットと比べる形状が異なり修正が必要ですが、カウリング前面開口部が小さいこととスピンナーの真後ろであり、完成後はほとんど見えなくなりますのでキットのままとしました。カウリングは下部が取り外し式で、完成後もエンジンを見ることができますが、合わせが悪いため接着固定しました。プロペラは4枚共、裏面に大きなヒケがありますので、パテで埋めて平滑にしておきます。



さらに、細かいところでは、次のような追加工作をしました。
① キットの機銃身は細くて折れやすいので、先端をラッパ状にした1.1㎜の真鍮パイプで置き換えました。作り方は、真鍮パイプの先端をバーナーで炙って、鉄筆、千枚通し等で先端をグリグリして広げていきます。あまりやりすぎると破断してしまいますので様子をみながら広げていきます。



② ピトー管は、太さの異なる真鍮パイプを組み合わせて自作したものに置き換えました。
③ アンテナ支柱はパーツのものはアンテナ線を張った場合に強度不足となるため、真鍮棒を焼きなました後、金床の上で叩き出した後、整形した自作支柱に置き換えました。



④ プロペラ軸を真鍮パイプに置き換えました。
⑤ スピンナーのプロペラ翅の穴を丸形からU字形に修正しました。
⑥ 照準器にFinemoldの照準リングを追加しました。
⑦ 主脚にブレーキコードを追加しました。実機の主脚にはコード類が脚柱にツタの蔓のように巻き付いていますが、煩雑になるのでそこまでは再現できていません。
⑧ 主脚のオレオ部分には、Hasegawaのミラーフィニッシュを貼り込みました。
⑨ 機首左下面の滑油中間冷却器の前後にメッシュを追加しました。
⑩ 主翼上面の脚出入指示棒はモールドされていますが、金型の関係から円錐状になっていましたので、0.8㎜の真鍮線に置き換えました。



  塗装は、上面暗緑色、下面シルバーです。上面の暗緑色は、Mr.カラー№383を、下面のシルバーはMr.カラー№8を、エルロン、昇降舵の羽布張の箇所はMr.カラー№35としました。しかし、エルロン、昇降舵もシルバーだったとする資料もあるようです。主翼・水平尾翼前縁下面は上面色がオーバーラップした塗装としましたが、完成後に大日本絵画 「紫電写真集 水上機王国 川西航空機の挑戦(2017年)」をよくよく読んでみると、作例の塗装は川西航空機鳴尾製作所製の機体で、この工場で完成した機体の主翼・水平尾翼前縁下面への上面色のオーバーラップはほとんどないとのことでした。デカールは、国籍マーク、プロペラ警戒線、機番号、計器盤と用意されていますが、古いキットですので使えないかと思えましたので、機番号を除き塗装で仕上げました。機番号は、デカールにマイクロフィルムを塗布した後に、マークセッター、マークソフターを動員して貼り付けました。マーキングは、胴体着陸した写真で有名な1944年 横須賀航空隊第一飛行隊所属機です。



 資料としては、なんといっても模型仲間のN氏より頂いた試製紫電の生産過程や初飛行時の131枚の写真でした。書籍では、大日本絵画 「紫電写真集 水上機王国 川西航空機の挑戦(2017年)」、文林堂 世界の傑作機旧版第2集増補改訂版「紫電と紫電改(1966年)」、世界の傑作機新版第124集「強風 紫電 紫電改(2007年)」、第196集「強風 紫電 紫電改(2020年)」、出版共同社 日本航空機総集改訂新版第3巻「川西・広廠編(1982年)」、学習研究社歴史群像太平洋戦史シリーズ№24「局地戦闘機 紫電改(2000年)」、光文社「海軍局地戦闘機(2004年)」モデルアート社 モデルアート1976年4月号・5月号、1995年2月号、モデルアート臨時増刊「紫電/紫電改(1987年)」、「強風 紫電 紫電改(2001年)」そして飛行機模型スペシャル№4「日本海軍局地戦闘機(2014年)」を参考にしました。


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