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(Photo) 九七式中戦車 in 中国

by  コルディッツ
博物館実機写真

 帝国陸軍を代表する九七式中戦車チハは歩兵支援を目的に
1937年に開発され、1939年のノモンハン事件が初陣になります。
第二次世界大戦に参戦後はマレー半島、ビルマ、フィリピンで
侵攻の先陣を務めましたが、主砲の57mm戦車砲は対戦車戦向き
ではなく、M3スチュアート軽戦車相手に苦戦をしています。
そこでノモンハン戦の戦訓を活かして開発されていた、高初速
の47mm戦車砲を搭載した九七式中戦車チハ改が投入されます。
チハとチハ改は第二次世界大戦を通じて主力戦車として運用
され、高性能の米軍や赤軍の戦車に果敢に交戦しました。
 戦後も国共内戦で両陣営でも使用され、中国の人民革命軍事
博物館には共産軍の使用したチハとチハ改が展示されています
ので、ご紹介させて頂きます。

※本稿はタミヤ模型の説明書、博物館の標示、「世界の戦車」
(コスミック出版)を参照しました。

 九七式中戦車 チハ
 人民革命軍事博物館(北京)にて     2019年4月撮影  


 チハ戦車の特徴の砲塔上の環状のアンテナ(鉢巻アンテナ)
が外されているのが残念です。砲塔に人民解放軍の軍章ー赤星
の中に黄色の「八一」の文字が入り、星の外枠が黄色ーを付け
ています。




 人民解放軍の戦車の始まりが九七式中戦車、軍用機の始まり
が九九式高等練習機と日本製なのは、歴史の皮肉でしょうか。




 元戦車兵の司馬遼太郎は九七式中戦車を酷評していますが、
開発時期から見ると、列強の戦車と同等に思え、辛口過ぎる評
かと。第二次世界大戦開戦後のドイツとソ連の戦車開発競争に
よる、猛スピードの戦車の発展が異常と思えるのですが。


九七式中戦車 チハ改  功臣號
 人民革命軍事博物館(北京)にて     2019年4月撮影


 47mm戦車砲を搭載した新砲塔を乗せたチハ改。チハと比べる
と「垢抜けた」と評したくなります。




 功臣號の博物館の英語訳は Hero でした。


ジオラマは1949年1月の天津解放です。天津が陥落したことで
北京(北平)の国民党軍は孤立し、1月31日に降伏、共産党の
中国大陸における勝利が確定しました。


 人民革命軍事博物館で、これほどデコレーションされた展示
はありません。そのヒーローが旧日本軍戦車と知ることは、
歴史を紐解く楽しさかと思います。



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Vol.176  2023 April.    www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
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