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(Photo) パナールEBR(偵察用装甲車)
by コルディッツ
博物館実機写真
1970年11月9日、シャルル・ド・ゴールは79歳で死去しました。
2日後、彼の霊柩は三色旗に包まれ、砲塔を外した八輪装甲車に搭載されてパリに運ばれました。パナールEBRとして知られるその装甲車は、当時の状態のまま戦車博物館ソミュールに展示されています。
※ 本稿は博物館の標示、HP戦車研究室、「世界の戦車 パーフェクトBOOK」(コスミック出版)を参照しました。
Panhard EBR (パナール偵察用装甲車)
戦車博物館(ソミュール)にて 2016年8月撮影
EBRの原型開発は、パナール社によって1937年に始まり、1939年には試作車が完成し、当時フランス領のアルジェリアで走行試験を実施するまで進みましたが、フランス本国がドイツに占領され、試作車もアルジェリアで行方不明となり、開発は頓挫します。この試作車はタイプ201と呼称されました。
Panhard EBR FL11
第二次世界大戦終結後、フランス陸軍は対戦車任務もこなせる偵察用重装甲車を求めました。パナール社は戦前のタイプ201を近代化したタイプ212で応じました。陸軍の指示に基づき、2輌の試作車が1948年に完成し、実車審査の後に制式採用されました。
展示の車輌は、車長と砲手の2名を乗せ、75mm砲を装備した揺動式砲塔FL-11を搭載した最初の生産型です。
両側8輪のうち前後の4輪はゴムタイヤで、中央の4輪はスパイク付き鉄輪です。通常は鉄輪は引き挙げられた状態で、路上では4輪で走行し、路外では鉄輪を下ろして8輪で走行することで、高速化を図りました。ある資料では時速105km/hとなっていました。
車体後方も前方正面と似ていて、中央に運転手席があります。
EBRは前後が対称的な構造で、前後に運転手席を置き、中央の戦闘室床面にエンジンを配置します。乗員は4名で前から操縦手、 砲塔内の車長と砲手、無線手兼副操縦手と座ります。
武装は主砲75mm戦車砲と同軸に7.5mm機関銃1挺、前後の操縦席下部に7.5mm機関銃を各1挺を装備していましたが、後に操縦席の2挺は撤去されました。展示の車輌は車長のハッチから機関銃を突き出していますが、詳細は分かりませんでした。
主砲は1963年からは90mm滑空砲に換装されて、EBR90と呼称が変更になります。
EBRの生産数は諸説ありますが、EBR90を含め約1,200輌生産で、フランスの他ポルトガル、モロッコ、チュニジア、モーリタニア、インドネシアで使用されました。
Panhard EBR ETT
EBRを装甲兵員輸送車に転換した車輌です。車体後部を兵員室に改め、砲塔を7.5mm機関銃を装備した銃塔に換装しています。
8輪の駆動系には変更はありません。車体は兵員室が拡張され、車輌内部から兵員による銃撃が可能なようです。
後部操縦席はそのままで、その後方に搭乗兵員用ベンチシートが設置され、背中合わせに6名ずつ、合計12名が外側を向いて座ります。
EBR ETTは1956年に開発され、30輌生産されました。フランス軍については採用説と不採用説があり、真偽確認ができませでした。
ポルトガル軍は採用しています。
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