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誌上個展

<日本航空史> 満州航空とJu-86

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 満州国は戦前の日本陸軍が中国東北地方に打ち立てた傀儡国家だ。当然のことながら抗日運動の中で、思いのままに統治できたはずはない。『日本民間航空史話』(日本航空協会、昭和50年再販)に収められた満州航空関係の回想文によれば、満州航空は陸軍の作戦上の要求を充足する航空会社として、日本と満州国の合弁という形で昭和7年9月26日に設立、11月3日から営業を始めたのだという。小磯参謀長は「航空会社はその任として、平時においては文物文化進展のため努力すべきであり、一朝有事に際しては、開戦臂頭において軍事行動に服すべき任務を課せられている。すなわち偵察爆撃である」と述べたという。満州航空の制服は、直ちに戦線にはせ参じられる軍服まがいのカーキ色だったとか。満州航空で使っていた飛行機の大部分はフォッカー・スーパーユニバーサルだったらしいが、「ドイツから購入したユンカース86型なども、平時こそ全く素肌の輸送機であるが、即刻完全武装を行い得た」飛行機だったそうだ。



   『日本航空総集 輸入機篇』(出版協同社、1972年)によると、Ju-86は昭和12年8月に三菱が輸入、「海軍と満航でテストされた結果満航の長距離貨客輸送機として、昭和13年から引き続き輸入され、主として日満航路に使用された」とある。 



 掲載したものは、満州航空が製作した彩色絵葉書。側面画像の絵葉書の左隅に「ユウンカース」の書き込みがある。この絵葉書の宛名側には「ユンカース86型10人乗輸送機」とある。彩色絵葉書の元の画像は白黒写真で、それに数色の色版を重ねてカラー写真風に仕上げたものだけれども、大雑把な色は分かる。そのうえで色をみると、機体の全体はややくすんだ明るい灰色、カウリング周りは暗い灰色で緑がかっているかもしれない。プロペラ前部は無塗装で、付け根近くに社章らしいものがある。裏面は暗くないようで、無塗装かもしれない。小さなスピンナーは前部のみカウリングと同色。主脚柱は上部が黒、下部はメタルのままでゴムカバーはない。ホイールは黒。垂直尾翼と翼のマークは満州国の理念を現した5色で、黄、紅、青、白、黒。文字は黒。脚カバー内面が黒くなっているが影の表現だろうか。側面画像の絵葉書にある緑色の記念印には、「7.7.6」とある。満州国ならば帝政後の康徳7年(1940年・昭和15年)であろう。よくみると記念印は中華航空で、こちらも日本が占領した中国で運行した航空会社で、戦後の同名会社とは全く関係ない。戦前に存在した中華航空は1938年12月設立だから、「7.7.6」と矛盾しない。

 きれいな絵葉書だが、不幸な歴史の証人である。



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