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特集 エース

D. W. ビーソン大尉のP-51B “BEE(ビー)” (タミヤ 1/48)

by 平針みなみ HIRABARI Minami



 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線のエース、デュアン・W・ビーソンは、米陸軍航空隊にパイロットとして入隊するつもりだったところ、必要な2年間の大学課程を修了していなかったため果たせず。そのような資格制限がないカナダ空軍にバンクーバーで入隊(1941年6月23日)、訓練カリキュラムを無事修了し、イギリスに渡ってエセックス州デブデンのRAFのイーグルスコードロン第71飛行隊に配属(1942年9月5日)。その後、イーグルスコードロンは米陸軍第8航空軍に吸収され、ビーソンもRCAFからUSAAFに移籍した。新たに編成された第4戦闘航空群は、1943年初頭にP-47サンダーボルトを受領するまで、スピットファイアで飛び続けた。ビーソンが搭乗したというスピットファイア3機のコードレター、シリアルナンバーが挙げられている資料がありました。その後、P-47D レイザーバック、P-51Bと乗り継いでいますが、専用機とされたのは各1機でした。

 ビーソンのP-47Dは、レイザーバックのQP☆Bで、シリアルナンバーは42-7890。出身地のアイダホ州ボイスィーBoise(地元ではそのように発音するが、よその人はボイジーとかボイシと発音するそうです。)にちなんで、この機には“BOISE BEE”(ボイスィー・ビー)のニックネームがつけられました。P-47で12機の撃墜を記録。
ビーソンは、ヨーロッパ戦線の米陸軍第8航空軍の中でもごく初期にエースになったパイロットの一人として知られています。

ビーソンのP-47D “BOISE BEE” (ハセガワ 1/72)


 1944年2月28日からP-51B(QP☆B、43-6891)で作戦に参加。こちらは単に“BEE”と名付けられました。P-51Bでの撃墜数は5.33機で、P-47Dの戦果と合わせて17.33機が空中戦での撃墜数。このほか、4.75機を地上撃破しています。
1944年4月5日にフラックによって撃墜され捕虜になっています。収容所は1945年4月29日にソ連軍によって解放されましたが、デブデンに戻るのに1カ月近くかかったそうです。
ビーソンは、多くの勲章を受章し、階級も少佐に昇進していました。
1945年6月にボイスィーに帰還、太平洋戦線への出撃を準備しているあいだに終戦。
1946年1月に結婚するも、体調がひどく悪化。脳腫瘍との診断で、手術のためワシントンDCの病院に運ばれましたが時すでに遅く、1947年2月13日に死亡。享年25歳。アーリントン国立墓地に埋葬されました。

ビーソンのP-51B “BEE”


 タミヤのP-51Bのキットは、1995年12月発売ということで、もう30年になろうとするベテランキットです。
以前、ハセガワの1/72キットでビーソンのP-47Dを作ったことがありましたので、今回はスケール違いですが1/48のP-51Bを作ってみました。
キットにはとくに手は入れていませんが、ドロップタンクは75ガロンのものを吊っている写真がありましたので、タミヤのP-51Dのキットからもってきました。その塗装は、ニュートラルグレーではなく、英空軍機の下面色ミディアムシーグレーとしています。

ビーソン機の写真でキャプションに日付の記載があったのは、1944年2月28日、1944年3月5日、1944年4月のものです。
1944年2月28日はP-51Bでの作戦初日のもので、このときは機首先端12インチ幅およびスピナーが白く塗られています。主翼、水平尾翼に15インチ幅の白帯がありますが、垂直尾翼は写っていませんが12インチ幅の白帯があるはずです。“BEE”のマークも撃墜マークもまだ記入されていないようです。排気管はカバーが付いています。キャノピー上部のバックミラーは取り付けられていません。

1944年3月5日撮影といわれる写真は、機体の左後方から撮影された破損修理中というキャプションの写真で、垂直尾翼の白帯は確認できますが、“BEE”のマーク等の位置はよく見えず確認できません。この段階でもバックミラーは付いていないようです。(垂直尾翼の白帯は3月23日付けで記入中止を通達)

1944年4月という写真は、機体を左前からカラーで撮影したもので、この時の状態がよくデカール化されています。機首の左側がよく見えますが、歴戦の機体らしく汚れていて、上側面のオリーブドラブが単色ではなく、あたかも2色で迷彩されているように見えます。機首・スピナーは赤く塗られています。“BEE”のマークも撃墜マークも見えます。排気管はカバーなし。バックミラーはあり。プロペラブレードにはハミルトンのマークはありますが、カフスのコーションはありません。垂直尾翼の白帯はありません。今回のキットは、この状態のものとしました。


  ビーソン機に固有のマークはスーパースケールデカールを、国籍マーク等の汎用マークはタミヤキットのデカールを使用しています。スーパースケールの“BEE”のマークや撃墜マークはオーバースケールですし、“BEE”の背景のブルーは明るすぎ、しっぽの先から出ている2本の電光マークもありません。この電光マークは、P-47Dでは3本になっていました。

BEEのマーク
なお、アイダホ州ナンパにあるウォーホーク航空博物館のP-51C(43-25057/N4651C)は、ビーソン機の塗装を模していますが、この機体のマークは“BEE”ではなく、P-47Dに描かれていた“BOISE BEE”になっています。


  同じモチーフの蜂のマークですが、“BOISE BEE”と“BEE”とで細かい違いがいろいろあります。
P-47Dの“BOISE BEE”


P-51Bの“BEE” 




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