ACEと言えばマンフレート・アルブレヒト・フォン・リヒトホーフェン男爵(Manfred Albrecht Freiherr von Richthhofen)に触れずには済みません。第一次世界大戦で最高の撃墜数を有するエースパイロットで、愛機を赤で塗装した事からレッド・バロンの異名も、広く知られています。1918年4月21日に戦死するまでの撃墜数は公式には80機。これに未確認の3機、僚機のクレームで非公認になった1機を加えて、84機とされる事があります。
最後の乗機はフォッカーDr.1三葉機ですが、残念ながら実機は残っていません。戦死時の機体は425/17号機ですが、彼の乗った152/17号機は大戦後まで生き延び、ベルリンの航空陳列館に展示されていました。しかし第二次世界大戦中に英国空軍の爆撃で喪われました。けれどヒコーキ愛好家のリヒトホーフェンへの関心は強く、多くの航空博物館でレプリカ機や模型を拝観できる機会が多くなっています。
※本稿は博物館の表示、佐貫亦男著の「赤い翼」「赤い被害」
(「ヒコーキの心」収録 光人社NF文庫)Wikipediaを参照しました。