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誌上個展

<日本航空史>
山田式1号飛行船

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム



 徳川好敏氏が代々木練兵場で日本国内初の飛行に成功したのは、明治43年(1910年)12月19日となっている。この場合の「飛行」とは、重航空機の話しである。飛行機にはそれ自身が空気より軽い軽航空機があって、気球や飛行船がこれにあたる。
 ここからは主に、財団法人日本航空協会編集発行『日本航空史 明治・大正篇』(昭和31年)、野沢正解説『日本航空機辞典(上巻)』(モデルアート社、1989年)、秋元実『日本飛行船物語』(光人社NF文庫、2007年)によっている。3冊のうちで『日本航空史 明治・大正篇』が元のようで、記述を簡単にするためか他の2誌で表現が異なる部分もある。ここでは、大雑把にまとめてみた。
写真は山田式1号飛行船で、明治43年(1910年)9月8日に、初の野外目的地飛行に成功している。大崎にあった山田気球製作所から駒場まで飛び、翌日は飛び立ったものの恵比寿駅近くに不時着。ガス補充の後に人力で移動、目黒の行人坂まで人力で運んでからガスを補充、それで大崎に帰ったという(私は東京の人でないので場所も距離感も分かりません)。このあたりの様子は、本によって多少の違いがある。第2回目の飛行は、明治43年(1910年)10月4日とある。飛行高度はどうやら100~200mくらいのようだ。ツェッペリン飛行船の帝都上空飛行が高度300mくらいらしいので、そんなに低いわけではない。



山田式1号飛行船の気嚢は、長さ30m、幅11m、高さは最大8m。はしごのような吊舟も長さは8mで総ヒノキ造り。前部に複葉の水平舵、後端の日の丸が方向舵だろう。中央部には14馬力の自動車専用発動機と搭載していた。写真をみると、気嚢の真下の籠のような所に操縦者(第1回飛行ならば折原国太郎氏)が乗っており、立ったり座ったりできるらしい。エンジンはその後方にあるようだ。
さて山田式1号飛行船の色だが、上掲3冊には書かれていない。よって、ちょっと分からない。当時の気球をみると気嚢は薄茶色が多い。山田式2号飛行船は気嚢に条帯を巻いていたが、この縞模様について、木村秀政『飛行機の本』(新潮社版、1962年)に、「この飛行船は…、黄色と白の鮮やかなシマ模様に塗られていた。…エンジンとプロペラがピカピカ光っていた」とある。 



  今回の写真は、ネットオークションで「飛行船」を検索したときに見つけたもの。「これは貴重だ」と思ったのは全国で私一人だったようで、簡単に落札できた。このくらい古い時代のことになると、何か分からなかったのかも知れない。1枚には気球が一緒に写っている。上空の風を読んでいるのだろうか。

 追記:埼玉県にある所沢航空発祥記念館が、2024年12月25日~2025年1月31日の会期で「雄飛号飛行船誕生110周年展」を開催した。その展示にも、山田式飛行船は採りあげられていた。どれだけの方々が山田式に興味を持たれたか分からないが、こんな機会でもないと存在すら認識していただけるチャンスはないだろう。どうですか、山田式1号飛行船、面白かったですか。


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