
<日本航空史>
三段空母 赤城と加賀
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by 加藤 寛之 |
プラモデル コラム |
飛行機の資料を集めていると、電車や船の資料まで入って一括販売品のときがある。今回の話題は、そんな混入資料から救い出してみた。先日に埼玉県の浦和で開催したSLB展示会でのおしゃべりに触発されたのが直接の理由だが、私は船には詳しくない。そこはご勘弁を。
今回の主題は、三段空母時代の赤城と加賀。三段空母といえばよりも、「宇宙戦艦ヤマト」のドメル艦隊の方がはるかに有名だ。世間では(子供たち、と言いたいが、本放送時の子供人気は低かった)三段空母にホンモノがあることはあまり知られていなかっただろうが、もちろん私は知っていた。
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赤城
カラー版は当時の彩色絵葉書で、モノクロ写真を印刷時に手作業で色分けして刷った疑似カラー。実物が単純な色なので、イイ感じに見える。
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青図のような印刷物は、『子供の科学』昭和6年新年号の付録。今から90年以上前のもので、A2版くらいの大きさ。「海軍造船大尉 赤崎 繁監修」とある。反対面には赤城の写真が刷ってある。前方昇降機の位置や飛行甲板の形は実艦とやや相違していて正確な図面とはいえないまでも子供の本の付録だと思えば立派なもので、前方が上がった上段飛行甲板、逆に前下がりの下段飛行甲板もしっかりと描かれている。解説に「出発甲板Cまたは帰着甲板Aから出発した飛行機は任務を終へ再び帰着甲板A上に到着し」とあり、「艦橋はB甲板の前端にあります」として中段を艦橋用みたいに説明している。
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昭和6年にはプラモデルなんて存在していないから、模型作りといっても木っ端や竹ひごを材料にノミや小刀で形を整えるのだから、子供が参考にするには充分すぎる図面だといえる。色も書いてあって「水線から下が赤、水線から上は全部灰色です」「甲板上面は木が張ってありますから黄色に塗ってください」とある。灰色というからには白っぽさを感じということだろう。甲板は、上空から黄色っぽく見えたんだろう。
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このような雑誌付録の図面は飛行機にもあって、それが戦後に出版された飛行機関係の資料本の元図に使われているようだ。船はどうなのか、ごめんなさい、私はその知識がありません。
さて、解像度の関係で読みにくいが、青図の艦尾側面に前から後ろに向かって「あかぎ」と書き込んである。私はこういうのが気になる。反対側はどちら向きに書いてあるのか、それが気になるのだ。
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加賀
そこで、加賀の写真3枚。これもなんとなく集まってしまったもの。解説できない私が悲しいのだが、そのうちの1枚に上述の艦名表記が写っていて、艦尾から前に向かって「かが」と書いてあるのが分かる。日本では前から後ろに向かって書くという考え方もあるが、この時代の加賀の左舷は左から右へ書いてあったとわかる。
この書く方向は飛行機でも難題で、「愛国○号」や型式と機番数字を右側と左側でどう書いたのか。民間機では、戦後もしばらく機首に固有機の愛称を書いていた。左側は前から後ろと左から右が一致しているので問題ないが、では右側はどうなのか。書く方向は写真確認が大切なのだ。
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中段甲板と軍艦の色
ちょっと戻って、中段甲板のこと。赤城の解説では艦橋でごまかしているが、発艦に使うつもりだったことは明らか。甲板長はとても短いもののそれで大丈夫と考えたことの証拠として、砲塔の上から発進テストをしている写真も載せておく。これは飛行機資料として購入したものだが、中段飛行甲板の短さと頭のなかで結びついておらず、前述のおしゃべりの際に言及があり気づかされた。
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次は色。当時の彩色絵葉書が軍艦をどう着色していたか(プラモデルの塗装だって着色だからね)はひとつの参考になるだろう思って、赤城を含めて3枚紹介してみた。甲板は黄色というよりも黄土色、軍艦色の灰色は明るめに着色しているが、絵はがきの見栄え尊重で調色している可能性もある。そんなところだから、ほんの参考程度にみてほしい。
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付記:本Webモデラーズ誌2017年2月号の「日本航空史」も空母関係で、「新田丸・あるぜんちな丸・秩父丸」です。
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