Home  > F3H-2 デモン (1/48 ソリッドモデル)> フルスクラッチビルド&ソリッドモデル>2025年5月号


 F3H-2 デモン (1/48 ソリッドモデル)

by 小山新一


(実機について)
 航空機の専門誌で、本機の表記は「デモン」で通っている。量産機が就役したのが1956(昭和31)年~1964(昭和39)年である。DEMON を「デモン」と表記するのは、この時期の日本のローマ字教育の反映で、自然なことであったのだろう。今なら「デーモン」あるいは「ディーモン」となったかも知れぬ。
 デモンはアメリカ、マクドネル社が開発したジェット艦上戦闘機(以下 艦戦と略)である。F3の記号が示すように、本機は「F4ファントムⅡ」の一つ前の艦戦である。
 敗戦国ドイツからもたらされた技術の一つに、高速機のための後退翼がある。直線翼でスタートした戦後のアメリカ艦戦(F9Fパンサー、F2バンシーなど)であったが、性能向上のため、後退翼を採用した機体が作られ始める。パンサーを後退翼化したクーガーや、F7Fカットラスなどが先達だが、デモンの後退翼は後退角45度と最も大きい。
 デモンの開発は一言でいえば、苦難と迷いの連続であった。つまづきの第一歩は選定したエンジンj40(ウェスチングハウス)の不調によるものだった。出力不足に加え、信頼性にも欠け、事故が多発している。代替エンジンの選定をめぐり、マクドネル社と海軍の間でひと悶着あった末、j71(アリソン)に換装することでようやく決着をみる。次なるつまづきが、開発途中での用途変更であった。迎撃戦闘機から、全天候戦闘機への変更である。この変更により、長い航続性能や高性能レーダーを初めとする追加装備で、重量増加が避けられなくなる。これに対処すべく設計陣は、主翼面積の増加を決断する。その増積ぶんはそれまでの試作機F3H-1に比べ17%も大きくなった。F3H-1のシャープな機体が、F3H-2で幾分ふくよかに見える原因は、増積された主翼に負うところが大きい。このF3H-2シリーズでようやく量産、部隊配備にいたるのが1956年のことである。開発スタートから8年が経っていた。



(模型について )
 実機の項でも触れた通り、同じマクドネル社が手がけた傑作機F4ファントムⅡの、一つ前の艦戦である。F4の兄貴ぶんにあたる機体なのだが、模型界での人気は高くない、どころかさっぱりである。F4ファントムⅡシリーズのキットが、大小各スケールで、大げさに言えば星の数ほどもプラ・キットがあるのにだ。
 そのあまりキットにめぐまれない点に着目し、ソリッドで作ろうと思い立ったのであった。私の頭の中では,二十年ほども前に出たエマー社(イギリス)の1/72キットが唯一との認識があった。だが、木を削りながらネットで実機の写真を検索しているうちに、ホビーボスから1/48のキットが出ていることを知った。他にも数社から1/72, 1/144のキットが出ていることを知る。しかしそれらを加えても、本機のキットは片手(5個)ぐらいであろうと思われる。
 弟ぶんのF4ファントムⅡは、艦戦として誕生したが、陸上機をもしのぐ高性能を発揮し、アメリカ空軍にも採用され、のみならず自由主義陣営各国もこぞって採用、ベストセラー戦闘機になる。わが日本もF4EJ(F4Eから、空中給油装備などを外した専守防衛型)として採用している。
 傑作機の一つ前の機体が、模型に恵まれない例は、Me108タイフンと、Me109 シリーズの関係に似ているかも知れない。 



  マクドネルの戦闘機の系譜でみれば、F4ファントムⅡは同社のF3Hと、空軍のF101のいいとこどり、のような印象がある。
 デモンを作ってみたモデラーの感想を一言で述べれば、「作りにくいヒコーキ」であった。F4ファントムⅡに比べ、技術も理論も未成熟であった時代、設計陣の試行錯誤と迷いが機体各部に散見されるのである。高性能ジェット艦戦を実現すべく、ああもすれば、こうもすればと迷いながら設計した。その結果が、あちこちに複雑な形態となって現れている、というのが私の実感だ。その、複雑で作りにくかった代表的部分を以下に3つあげて置きたい。モデラー諸氏はその箇所が、F4ではシンプルな形状になっていることに気がつかれると思う。経験と理論にもとづく自信と割り切りの結果であろう。
 1、主脚、特に前脚
 2、空気取入れ口周辺
 3、主翼と胴体のスポイラー(エアー・ブレーキ)



  主な木取は胴体、主翼左右、尾翼3枚、キャノピーとオーソドックスな形でスタートした。上記の空気取入れ口を作るために、胴体がおおまかな形になったところで、空気取り入れ口前端で胴体を切断、必要な部分をくり抜き再接着している。アライメントに注意して主翼を接着し、並行してコクピット内ほかの小物を作っていく。キャノピーの木型を胴体にすり合わせ、瞬間接着剤をしみこませ、ペーパーとコンパウンドで磨きあげ、テスト・ショットを作ったりもしている。

この木取でスタート


大まかな整形


 コンビニで航空情報刊の、松葉 稔氏の作図による「精密図面を読む 初期の米軍ジェット戦闘機 編」からF3Hの図面を近くのコンビニでコピーしたのが、昨年の10月30日であった。完成が今年の3月27日だから、5か月を要したことになる。前作ソリッドキ94Ⅱは3ケ月と少しで完成している。レシプロとジェットの違いはあるが、実機の複雑な形態の影響も大きかった。5か月間楽しませてもらったとも言えるが、あちこちで苦しめられたのも実感である。

小物パーツあれこれ


機首接合前


 今回のF3H-2は、100%の手作りでないことを付け加えておきたい。パーツについては前脚のタイヤをプラモのジャンク・パーツから、サイドワインダー2本をハセガワ1/48 F4Jから流用している。マーキングに関しても、すべて手がきはしんどいので、行きつけの模型店にたのんで、タミヤ1/48 F4B のデカールを取り寄せてもらった。使えるものは使い(世界のタミヤにして、デカールのノリが弱いのには落胆!)、不足の文字ほかは手描き、手書きした。

機首のアップ


 パイロットとデッキ・クルーたちは、ハセガワのアメリカ海軍デッキ・クルーセットを塗装した。


 機体のアクセサリーで胴体下の燃料タンクについて、ウンチクを記しておく。適当な流用パーツがなく、朴材を削って自作した。同じものを2個削るのはしんどいと思ったら実機に関する次のような記述があった。胴下に2基を並べてつけると空気抵抗のため、かえって航続距離が短くなることがわかり、以後片側1基のみの装備となった。この空力設計の「チョンボ」もデモンの迷いらしくて面白い。よってわがデモンが胴体下燃タンを片側1個のみ懸吊しているのは、手抜きではない。



(余禄)
  最後の写真は20年ほど前に、私が描いた架空のボックス・アートである。原画はもはや手元になかったが、コピーが残っていた。このころから、デモンに興味があったらしい。マルサン1/50シリーズからキットが出ていたとの設定なので、拙いながら、タッチを故橋本画伯のそれに似せている。今回のソリッドと同じくVF14の機体になっているのは偶然に過ぎない。本当はVF31の機体にして、胴体にフェリックス・ザ・キャットを描きたかったのだが、尾翼ほかのレタリングが大変で、断念したのであった。

架空のボックス・アート



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