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<日本航空史> 97式大艇
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by 加藤 寛之 |
プラモデル コラム |
ハセガワが、1/72飛行機シリーズの初期に97式大艇を造ってくれたことは快挙だったと思う。97式大艇は、後継の二式大艇、そして戦後のPS-1、US-1、US-2へとつながる国産4発機飛行艇だから、このスケールでキットが存在するだけで嬉しい。『モデルアート』1970年4月号に、実機のモノクロ写真と共にハセガワ1/72キットの丁寧な製作記事が載っている。『同』1970年4月号にも写真を載せているらしいが未確認。入手できれば製作の祭に参考となるが、キット入手よりも困難そうだ。
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今回の日本航空史は、97式大艇を模型製作の視点で記してみた。
明るい色の97式大艇輸送型は、主翼上面におそらく黒でウォークウェイが引いてある。このウォークウェイは、上面緑の場合には黄色で引いたようだ(『丸エキストラ版』Vol.36、昭和49年)が、一部の機体だけなのか、あるいは緑を塗ってしまったのか、線がないものも確認できる(雑誌「丸」編集部編『写真集日本の偵察機』光人社、昭和47年)。上掲『丸エキストラ版』には、97式大艇の塗装について「上面を濃緑色、下面を白銀色」との記述がある。
さて、97式大艇には輸送機型の白っぽい塗装について考えてみたい。この塗装についてはいろいろな説があるので、例示してみたい。
その1:『モデルアート』(第37集)1970年4月号に民間型「J-BGOC」機のカラー図があって、機体は銀色で、底面は胴体、補助フロートともに赤。コックピット前上面は黒。当時の編集人は日本機に関して多くの著作がある野沢正氏。
その2:『プラホビー』(168号)1979年9月5日に『I-VⅢ-51』機の塗装図があって、機体は銀色。解説文に「全面銀塗装(銀塗装は銀の塗料でなく、クリアーをかけていたようである)で、艇体と補助フロートの下面は明灰色白色」とある。コックピット前上面は黒だろう。
その3:『航空ファン』1988年5月号に 長谷川一郎氏によるカラー側面図「ヨハ-11」機のカラー図がある。機体上側面は銀色で、底面は胴体、補助フロートともに濃い青色。コックピット前上面は黒。解説文に「大艇(“だいてい”と読む)は初期には艇底や翼端フロート底は確かに濃い青に見えた。しかし後期になると、上面と同じ銀色の底面も見受けられるようになった」「後になると上側面が暗緑色で底面と下面は銀」とある。長谷川一郎氏は戦時中からの飛行機モデラーだ。
その4:モノクローム1/144「九七式大型飛行艇23型」プラモデルの塗装及びマーキングガイドには3つの機番を示したうえで塗装図は共通。機体はコックピット前上面も含めて上下面全体を明灰色。ただし解説文に「昭和17年以前の22型又は、2号1型、2号2型の中には、艇体下面を紺色に塗装した機体もありました」とある。
“どうしましょう”的な状態だ。下面の赤塗装だが、当時の民間機は胴体下面に赤い線を長く画いているので、赤はその代わりです、と言われたらそれもアリそうに思う。一方で掲載の彩色絵葉書では、艇面が黒くなっている。艇面が赤ならば日の丸の彩色ついでに赤くするだろう。艇面の黒は紺色の代わりか。『プラホビー』のクリアー説は、クリアーをかけたら96式艦戦のように赤っぽくなってしまうだろうから、それでは銀とか明灰色には見えないだろう。そうはいっても、海水に浸かり浴びるから、無塗装とは考えられない。銀ならば銀色の塗装だろう・・・なんて考えるが、迷うばかり。 |

外観はこの程度にして、室内色は?『別冊1億人の昭和史 日本航空史』(毎日新聞社、昭和54年)によって、その室内色が分かる。97大艇の民間型の彩色絵はがきが掲載してあり、室内はクリーム色、ベッドを仕切るカーテンは緑、寝台のシーツは白、床はこげ茶、座席は黒っぽく彩色してある。彩色絵葉書は印刷の工夫でカラー化しているので微妙な色あいはムリだが、大体の実物色は反映しているだろう。機内工作にこだわる方は、ぜひ再現を。ただし、機体によって室内艤装に違いがあったようだ。
旅客定期便の運用は、『CONTRAIL』1997年172号にいろいろ書いてある。南洋群島の島内線と横浜・竿パン・パラオ線と同様だそうで、駅弁より少し上等の二段重ねの折詰弁当と厚手のコップを乗客に配り、魔法瓶に入ったお茶を注いで回ったそうで、寄港地は海軍基地のため上空に近づくと窓のカーテンを閉めたそうだ。試験飛行のころは色々な機体があり、海軍機のままのものは「胴体の中央に通路があり、重心点附近に大きな燃料タンクが両側に、床から天井までのスペースを埋めてい」て、「むき出しの空間に、客用の若干の座席を間に合わせのように作りつけたのが初期の輸送用」で、6座席と8座席があったらしい。「綾波になると内部が改装されて完全な旅客輸送機で、17席」「トイレも海軍機の場合は機尾に穴が開いていて、機外へ垂れ流しの状態でしたが、トイレ室ができて便槽がつき、基地で処理するように変わ」ったとある。
こんな長距離飛行で、エンジンは大丈夫だったのだろうか。現代の感覚ならば4発の97式大艇は安全そうだが、当時ならばエンジン故障の可能性が単発機の4倍あったとも言える。97式大艇は、1基停止では飛行可能。2基停止では水平飛行は不可らしい。これも『CONTRAIL』1997年172号にある。
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飛行艇の水密塗装にも触れたい。『航空ファン』1975年5月号にあるのだが、飛行艇は海に浮かんでいるのだし、離着水の強い衝撃があるのから、放っておくとリベットが緩み浸水してしまう。そこで鋲列ごとに1mくらいポリビニール系の柔らかい塗料で布を貼り、その上に防食性金属塗料を塗るという方法を中野和雄氏が昭和16年に開発したそうである。氏によれば、「終戦まで私の塗装法は全機に採用されていた」という。昭和16年は紀元2601年だから、それ以前に制式の97式大艇はどうだったのか?・・・分からない。これは模型の剥離塗装をする際に、大いに影響する。そして、戦後のPS-1、US-1、US-2は?
ごめんなさい、調べていません。
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次の真偽は各自判断で。97式大艇の翼幅は40mある。この大きさは、川西の鳴尾工場の柱間隔に合せたものだそうだ。この主翼は艇体と細い支柱でつながっているだけで、翼端を手で軽く押すとグラグラするという。40mもあると、暑い日には膨張して寸法が延びるんじゃないかという冗談めいた話題がある。熱帯を飛行して摂氏70度になったとすると、計算上は0度の時より7cmも長くなるらしい。南方ならそんなこともありそうだ。『航空情報』1958年8月号の佐貫亦男『飛べヒコーキ』に、そんなことが書いてある。7cmは1/72で約1mmに相当する。「そのプラモデル、摂氏何度の大きさですか」なんて考察ができそうだ。
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掲載のモノクロ版は写真で、1枚目は平面形がよく分かる。2枚目は主翼上面の線に注目。編隊飛行の目安線?だろうか。3枚目は魚雷に注目。4枚目は疑問いっぱいの彩色絵葉書。なお、この時代の写真は見られてマズイところを消してあるので、そのつもりで見ていただきたい。
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