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<日本航空史> DC-7C 最後のレシプロ旅客機
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by 加藤 寛之 |
プラモデル コラム |
その昔、マルサンが日本航空のマークでDC-7のプラモデルを売っていた。今回、この記事のために日本航空のDC-7Cの形をみていたら、どうも主翼がプラモデルの箱の絵の記憶と違う。なぜ箱絵かというと、私がお店の棚でみたマルサンのキットは透明フィルムで覆ってあり、中を見たことがなかったからだ。それでも気になってマルサンのキットのことを調べてみたら、マルサン製品は主翼と胴体の間に矩形の継ぎ足し部分がない初期の型だった。
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実機のDC-7は、定評のあるDC-6を、パワーがあって燃費も優れたエンジンに換装した型式。DC-7Cはさらに主翼幅を広げて燃料タンクを増設、胴体も1mほど延長して大型化したタイプだそうだ。ダグラス社は「C」をもじって「セブン・シーズ(7つの海)」の愛称をつけて、国際線向けに販売したそうだ。日本航空もこれをDC-8導入までのつなぎとしてこのタイプを購入、1958年から国際線にロイヤルアローと名付けて就航させた。
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航空情報臨時増刊『航空の基礎用語150』(1958年第1刷)の「レシプロ発動機」項にあるスーパーコンステレーションとDC-7Cの写真には「最後のレシプロ旅客機」の言葉が添えられている。このころ旅客機のエンジンは、ピストンを往復させるレシプロエンジンから、確実にガスタービンエンジンへと変わる時期だった(いわゆるジェットエンジンだけでなく、YS-11が使ったターボプロップもガスタービンエンジンになる)。
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DC-7Cは、日本航空の広報小冊子『日本航空の国内線に就航した大型国際線機 アロー・シリーズ』(1963年11月制作?)によると「ダグラス社が製作した最新・最大のピストン機。独特のターボコンパウンド・エンジンにより、ピストン機としては最高のスピード」とある。「ピストン機としては最高のスピード」というが、同じ冊子にあるコンベア880Mが巡航速度毎時1000kmで、DC-7Cは570kmと書いてあって、大差がある。DC-6からのエンジン換装は分かっていたが、ターボコンパウンド・エンジンって何だったかなと思って調べてみたら、排気ガスでタービンを回し、そのエネルギーを動力に加える構造だそうだ。航空情報別冊『日本航空機ガイド
Vol.1 民間航空機』には「燃費の点では優れていたが、実用性の面では従来の発動機よりはるかに劣り」とある。『日本航空機ガイド Vol.2 自衛隊機』のP2V-7の文中にも「燃料消費率は記録的に低いが、それだけに故障発生率もきわめて高く、民間機でこれを用いたダグラスDC-7Cなどはこのエンジンが命とりになってしまった」とある。
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実用性は定期運行が大切な民間航空で重要なことだが、そんなことと関係なく旅客の好みとしてはプロペラ機よりもジェット機を選ぶと思う。計画で終わったD型はターボプロップで構想したらしいが、開発は中止。つまりメーカーでもジェット機DC-8の開発を選択したわけで、日本航空での使用がDC-6よりも短命だったというのも必然だったのだろう。こう書くと、あたかも時代に翻弄された旅客機ようにみえるが、ジェット機への橋渡しを担ったという方が正当なのだろう。日本航空のホームページには「ジェット機導入までの中間機として、計5機を保有。ターボコンパウンド・エンジンを採用し、スピード・航続距離とも増大した新鋭機であった。座席数48~72席(国際線仕様)、巡航速度550km/h」とある。
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掲載の画像は、モノクロの2枚は誰かが撮った写真、カラー画像は前述の小冊子から。あれ?小冊子の巡航速度はホームページよりも速いなぁ、どちらも日本航空なのに・・・まあ、いいでしょう。モノクロで胴体横を開けているのは貨物機に改造した機体で、DC-7CFとある。これも絵葉書から。
冒頭のプラモデルに戻って、当時のマルサンならば何か元のキットがあったのではないかと思っているのだが、レベルの製品だろうか。昔のことだし、どちらも持ってもいないので、まあどうでもいいのだが。 |
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