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<日本航空史> ブルース夫人
by
加藤 寛之
プラモデル コラム
ブルーバード号
本「日本航空史」の第1回2014年9月号で採り上げた朴敬元さんを調べていると、ブルース夫人の名前が出てくる。英国の女性飛行家で、名前はビクター・ブルース。日本では通常、「ブルース夫人」と呼ばれている。
この女性は、1930年(昭和5年)9月25日に一人で英国を飛び立ったそうだ。40歳にして飛行時間は40時間(ホントでしょうか?)というのだからホントならば免許取り立てで、世界一周の浪漫飛行は大冒険だったことだろう。そして南周りで東洋の果ての日本に飛来、12月5日に当時は海外から飛来する際の国際空港だった立川飛行場に着いたそうだ。
機体はブラックバーンL.1CブルーバードIV型で、写真のように機首に名前が書いてある。英国らしい韻をたいせつにした名前だろう。並列複座の配置が面白いが、当時の英国では一般的な軽飛行機だったという。ブルース夫人機は一方の座席部分に燃料タンクを増設してあったそうだ。
当時の雑誌切り抜き(出所不明)
英国から日本まで1万8千キロくらいだそうで、離着陸を重ねたとはいえその間を飛んできたのだから冒険だ。おそらく地上を目視して飛んだのだろうが、エンジンでも止まって不時着すれば命にかかわる。飛行機に信頼性があってこその挑戦だ。ブルース夫人以前に来日したキャサリン・スチンソンさんやロー夫人は飛行機を船便で運んでいそうだから、飛んできたのは快挙。航空機の進歩が急速だったこともあるのだろうが。さすがに太平洋と大西洋は船で渡ったそうだが、それは当時の飛行能力では当然。
立川への飛来の際は、14機の民間機が迎えに飛んだとある。女性飛行士は一人がエンジン不調で飛べず、朴敬元さん一人が歓迎に飛んだそうだ。女性3名の写真は着陸直後のもので、中央がブルース夫人、左の飛行帽が朴敬元さん。右も女性飛行士で本登勝代(ほんとかつよ)さん。だから、エンジン不調で飛べなかったのは本登さんだと思うが、この原稿の時点で私は確認できなかった。迎え出た朴敬元さんがこの時に受けた影響が、後に熱海の山に墜落した祖国への飛行につながったともいわれている。
三菱はブルーバードのライセンスを獲得して、2機を製造した。
朴・ブルース・本登の3氏
戦前の女性飛行士については、海外からの飛来者となると航空誌にもそれほど丁寧に書いてない。朝日新聞が写真ニュースにして報道しているのだが、今回は新聞報道までは調べなかった。雑誌切り抜きは朝日新聞系列のものかと思うが、この状態で入手したので出所が分からない。
愛機を整備するブルース夫人
追記:
朴敬元さんは、サルムソン2A2で祖国への飛行途中で熱海に墜落して果てた方だが、『航空情報』1962年5月号にある「日本航空史の人々 羽太文夫氏」には「サルムソン機は箱根をこいえるのがむずかしかったんです。エンジンの常用回転数を1,250回転以上にしてはいけないといわれていたんですが、これでは箱根を越えるどころじゃない」云々とある。そんな飛行機で挑戦したのだ。本Web誌2014年9月号「祖国への飛行で散った民間女性飛行士 朴敬元さん」(<日本航空史>の第1回です)と2021年5月号「太平洋横断機変じてガソリンスタンドと成る 朴敬元さん補足」もご覧ください。
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