ソビエトが大戦後、T-34の発展を極めた形として開発したのがT-54とその改良型 T-55である。戦闘重量はM48パットン47.6トンに対し、T-55は36トンと3/4の軽量で、全長6.4m,全高2.4mと被弾性に優れたコンパクトな車体と半球形の砲塔に、55口径100mm砲を装備し、当時の西側各国の標準だった90mm砲を威力で凌駕した。(自衛隊の61式戦車も90mm砲。)
T-55はT-54のエンジンを強化し、弾薬搭載量を34発から43発に増加している。1960年代初頭に登場し、ソビエトだけでなく、チェコやポーランドでもライセンス生産され、共産圏各国にも輸出され、シリーズで10万台に達する 大ベストセラーとなった。現在でもまだ中東や東欧で使用続けられている。 |
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実はT-55を一躍有名にしたのは1960年代後半のソ連のチェコ進攻で、自由化しようとしたチェコをソ連がいきなりT-55で蹂躙し、「連帯」による自由化運動はあえなく踏みつぶされてしまったのである。当時は毎日のようにテレビでT-55が進撃する姿が報道され、高校生だった私には とはいえ 後部の2個の補助タンクと砲塔の主砲と連動する大きな赤外線ランプが特徴的でかっこよかったものだ。
しかし、第1世代に属する戦車なので、中東戦争では、第2世代のイスラエルのメルカバには歯が立たず、ケチョンケチョンにやられてしまい、多くの残骸をシナイ半島にさらす哀れなことになった戦車でもある。 |