詳しくは別コーナーで赤とんぼワークス氏が解説して下さるので こちらでは短く説明致します
ロートダイン機は1950年代半ばイギリスの都市部間を従来の固定機より空港へのアクセス時間を短縮できる旅客機としてVTOL旅客機として開発されました。
双発旅客機の胴体に回転翼を載せたそのユークな姿はヘリコプターとして垂直に離着陸しオートジャイロとして水平飛行するためのものです。
実機は1957年に無事初飛行しましたがそのユニークな形状にも関わらず非常に安定した飛行を見せましたが胴体に近すぎるターボプロップエンジンの配置と回転翼先端部に取り付けられたチップエンジンの騒音が余りにも酷い為開発は中止されました。
現在ロートダインの実機は残っておらず機首の一部とエンジンが博物館に展示されているのみです。
以下 赤とんぼワークス小柳篤司 氏 の解説です。
フェアリー・ロートダインとはイギリスのフェアリー社が開発した試作VTOL旅客機で原型機は1957年に初飛行しましたが、量産に至らず試作だけで終わりました。
第二次大戦後、ヘリコプター分野に進出を目論んだイギリスのフェアリー社は、メインローターのアンチトルク対策にテイルローターの代りに推進プロペラを装備した研究機ジャイロダインを開発し、1号機は1947年12月7日に初飛行した。1号機は1949年に墜落したが、2号機はロートダイン開発の為に、ローターブレード先端のジェット噴射でローターを駆動するチップ・ジェット方式のジェット・ジャイロダインとして1954年1月に初飛行した。
フェアリー社はVTOL旅客機で都市中心部のヘリポート同士を結べば、空港迄のアクセス時間が掛かる固定翼機より速いとして、1950年に乗客20人乗りのタイプYを提案したが、1953年にBEAの要求でより大型の40人乗りのフェアリー・ロートダイン開発が決定した。主翼下のエンジンナセルにネピア・エランド・ターボプロップ・エンジン(3,250馬力)を2基装備した双発機で、胴体上部の4枚のメインローター先端にチップジェットを各一基ずつ装備した。軍用輸送機としての可能性も注目され、原型機の後部胴体には左右両開きの貨物扉が設けられ、軍用機のシリアルナンバー"XF521"が付与された。原型機は1957年11月6日に初飛行、翌年の1958年4月に垂直離陸から水平飛行の遷移に成功した。
双発旅客機の背中に回転翼を載せた様なユニークな姿が印象的なフェアリー・ロートダインは、ヘリコプターでも固定翼でも無くコンバーチプレーン又はジャイロプレーンのカテゴリーに属する航空機で、ヘリコプターとして垂直に離着陸し、オートジャイロとして水平飛行する。
離陸時はネピア・エランド・ターボプロップ・エンジンでクラッチを介して補助コンプレッサーを駆動し、抽出した空気をローター先端から噴射する。エンジン出力の80%はコンプレッサー駆動を担い、ピッチとロールの制御はサイクリック・ピッチで行い、ヨーの制御はプロペラピッチ差動で行う。
5分から10分後にローター回転数が約100rpmまで上がったらチップ・ジェットに点火回転数約140rpmでヘリコプターとして離陸する。ローターが自重で垂れ下がっているので、垂直尾翼はローターと干渉しない様に離陸時は60度横に傾いているが、ローターの回転数が上がったら垂直になる。高度60mでローターピッチを変えてヘリコプターとして前進し速度90~110ノットでチップ・ジェット停止、ローターはオートジャイロと同様の自由回転となるが、この時の回転数は数120rpmで揚力の40%はローターが担っている。 |
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プロペラの推力で前進し、ピッチとロールの制御にはサイクリック・ピッチと一緒に、固定翼機と同じ補助翼と昇降舵も使用し、ヨーの制御は方向舵で行う。着陸時は110ノットに減速し補助コンプレッサーを駆動しチップ・ジェットに点火、ヘリコプターとして垂直に着陸する。通常のヘリコプターはエンジンの駆動軸でローターを回転するが、チップ・ジェット方式はローター先端のジェット噴射でローターを回転する。ローターのトルクが発生しないので反トルク用のテイルローターが不要になるが、騒音が大きい等の問題が有り実用機はフランスの"シュド・ウエストSO.1221ジン"しか例が無い。ロートダインの4枚のメインローター先端にチップ・ジェットが各一基ずつ装備されているが、開発で騒音対策は大問題で、チップ・ジェットのサイレンサーは40種類の形状がテストされた。一般のヘリコプターの騒音レベルは地下鉄のプラットホーム位だったが、ロートダイン離着陸時の騒音は一般のヘリコプターより大きく、一般公開後の反応は異口同音に煩いと指摘された。
1959年1月5日には100km周回コースを307km/hで飛行、従来の回転翼機の記録より46.7km/hより速く回転翼機の世界速度記録を樹立した。
1959年6月16日、ロートダインは第23回パリサロンに参加する為にロンドンのヒースロー空港を離陸、1時間36分で最初の目的地ベルギー、ブリュッセル市内のへリポートに到着。ブリュッセルでサベナ航空の関係者を乗せ僅か58分でパリ市内のへリポートに到着した。同じ旅程は旅客機なら空港へのアクセス時間が掛かり、所要時間は2時間54分要したので、コンバーチプレーンの有利さを証明した。
イギリスでは1957年の国防白書でミサイル万能が唱えられ、航空機関連の予算が削減され、TSR.2を始め多くの航空機がキャンセルされた。第二次大戦後のイギリスに大小20社の航空機メーカーが有ったが、1959年から1960年に掛け、航空機の大手はBACとホーカーに統合、航空エンジンはロールスロイスに統合、ヘリコプターはウェストランド1社だけになり、フェアリー社はウェストランド社に統合された。 第二次大戦後、ウェストランド社はシコルスキー社のヘリコプターをライセンス生産していたが、自社で大型ヘリコプター、ウェストミンスターを開発中だった。 ウェストランド社は、自社のウェストミンスターと吸収したフェアリー社のロートダインを比較し、ロートダイン開発を選んだ。
量産型は更に大型の50人乗り、エンジンはより大出力のロールスロイス・タイン(4,955馬力)2基、チップジェット駆動に専用のガスジェネレーター2基装備が予定された。原型機のチップジェットの燃焼室は各1基だったが、騒音対策の為に量産型の燃焼室は9基に増やされるので騒音レベル低下が見込まれた。
アメリカのカマン社はロートダインのライセンス生産を持ち掛け、アメリカ、カナダ日本等、各国のエアラインから注文が来たので前途洋々に思われたが、開発費の高騰と固定翼機より運用経費が掛かる事が予想された為、1962年に政府補助金が削減され開発中止となった。開発中止後に唯一の原型機はスクラップにされたので、ロートダインの遺産は"Helicopter
Museum"に、胴体輪切り、エンジン等の部分だけだった。
http://www.helicoptermuseum.co.uk/fairey.htm
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