ノースアメリカンRA-5Cは、A-3スカイウォーリアの後継機として開発された高速核攻撃機A-5ビジランティを改造して、偵察機とされたものです。ビジランティとは 自警団員という意味。この自警団員という意味は、マッハ2を越すA-5は胴体内部に核爆弾を抱いて、空母発進の核報復攻撃能力として運用するために開発されたものだったのです。 その後、核報復攻撃能力のポラリス潜水艦への戦略転換により、A-5は余ってしまい、高速を生かして偵察機に転用されたというわけです。
|
|
RA-5Cは1962年初飛行しまして、偵察航法士席から背中にいたるハンプバック状に胴体形状が変更され、偵察カメラ、電波、IRセンサーなどが収められたカヌー型のポッドを胴体下面に装着しました。 ECM偵察機材はポッド型にパッケージして胴体の核爆弾爆弾倉に収納されています。速度命の偵察機でありますから、極力、空気抵抗の増加する機外装備品を最小限にしています。
侵攻速度マッハ2以上を生かして、北ベトナムの強行偵察などに多用されました。 |
|
しかし、「我に追いつくミサイル無し」とはいかず、損耗も大きく、18機が直接戦闘でコンバットロスされています。事故も含めた東南アジアでのロス総数は26機。
生産機数は全部で79機。43機が攻撃機A5から改造され、36機が1969年から新造されています。新造機は主翼前縁のストレーキがインテークまで延長され、パワーアップされたJ-79-GE-10エンジンを装備しました。
実は、RA-5Cには弾頭威力1メガトンのMk43熱核爆弾を搭載できる装備が残され、1967年まで核攻撃任務についていました。あまり知られていない事実です。ちなみにこのMk43はトラペのキットに武装アクセサリーとして付属しています。 |