1930年代のフランス軍用機のスタイリングは某航空評論家が「醜悪」の一言でまとめられたように特に爆撃機の分野ではアミオ機やブロック機等軍の要求に応えればスタイリングはどうでもいいと言ったマンネムリズムに陥っていた。そのような風潮の中で比較的戦闘機や軽爆撃機は高性能を目指しスタイリングも他の欧州諸国の物に近い形でまとめられていた。
しかし双発の美しい多用機631から派生したポテ63・11偵察機は打って変わってマンネムリズムに退化した残念なスタイリングの機体として作られてしまった
ポテ63・11機は元々「多用途(戦闘・地上攻撃・編隊指揮等)任務機」として開発・配備されたポテ631機の偵察機型として軍からポテーズ社へ改造指示を出された。
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タンデム3座の双発戦闘機を偵察機へと改造するにあたり機関砲を搭載していた機首部をガラス張りの観測員席と変更しさらにコクピットから下方を見やすくするためキャノピーが大きく左右に貼りだした格好になり前後に短くなった。
この改造の結果機首部は「温室」と呼ばれるほど大きなガラス張りとなりコクピットは胴体からはみ出したとても前作のスマートな631機とは似ても似付かないスタイリングとなった
さらに631から受け継いだノームーローン700hp(×2)エンジンの性能では機体形状の悪さと相まって400キロ台前半の速度しか出せずバトルオブ・フランスでは制空権を握ったメッサー機の前では生還も難しく225機が失われた。休戦後残存していた機はドイツに接収された後イタリアやルーマニア等の枢軸国に供与され敗戦まで使用された。
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