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誌上個展

デユーセンバーグ・モデルSJ(モノグラム1/24)
DUESENBERG SJ (Monogram 1/24) 

by 田口博通 Hiromichi taguchi

 Vintage garageは創世記から1970年代までのビンテージレースカーとビンテージクラシックカーの連載コーナーです。クラシックな姿の中に優雅さと繊細さを内包した彼女達にしびれる方々も多いはず。 
 ビンテージ・ガレージは ビンテージカープラモデルの製作だけでなく、その独特の魅力を醸し出すビンテージカーが背景に持つエピソードにもスポットをあてています。 どうぞお楽しみ下さい。

 (ビンテージ・ガレージ バックナンバーは ページ末に


  昨年8月からの第1シーズン6回の連載では 主にビンテージF1グランプリレースカーとルマンレースカーを取り上げました。
 7月から始まった第2シーズン6回連載、第9回の今月登場するのは アメリカの最高級ビンテージカーとして有名なデユーセンバーグ・モデルSJです。
 アメリカの富と成功の象徴として、ハリウッドスターにこぞって買い求められた車で、2013年6月公開のディカプリオ主演『華麗なるギャツビー』にも登場しています。
 このデユーセンバーグSJはモノグラムから名作キットが1960年代初頭に発売されており、そのプラモデルも 当時模型店のガラスだなに燦然と輝いていた手の届かない憧れの舶来キットでした。



デユーセンバーグ・モデルSJ (モノグラム1/24)

実車について

 デューセンバーグ(Duesenberg )は第2次大戦前のアメリカの最高級車ブランドとして知られている。 デューセンバーグ・モーター社は1913年、ドイツ系移民のフレッドとオーガストのデューセンバーグ兄弟によりミネソタ州セントポールで設立され、1937年まで存在した。

 デューセンバーグが製作したのは、ロールスロイスやイスパノスイザにもひけをとらないアメリカで最高級の気品と性能を兼ね備えた最高級車だった。 キャデラックやベンツよりも一段上の豪華な車で、現代でもデューセンバーグといえば、アメリカ製ビンテージカーの代表とされてコレクションされており、日本でもトヨタ博物館にルバロン製フェートン2カウルボディのJ型が一台収納されていて拝観することができる。
 
 アメリカンドリームらしい高級車の価値観は「アメリカで一番大きく、一番高速で、一番高価で、一番豪華な車」であり、その価値観のもと、幾多の高級車が生まれたのが『狂乱の20年代』だった。その『狂乱の20年代』を象徴する最豪華車がデューセンバーグだったのである。
 安いデューセンバーグ1台で T型フォード50台が買える高価さだったようだ。
 
 このアメリカ一の最豪華車デューセンバーグをアメリカの富と成功の証として ハリウッドスターたちがこぞって買い求め、 クラーク・ゲーブルやゲイリー・クーパー、グレタ・ガルボなど多くの有名人が愛用していた。 彼らのデューセンバーグは デューセンバーグ社のシャーシーに ウィロビーやマーフィーといった超一流コーチビルダーが架装をした。
 そうして完成した車は 現代のアメリカ車には求めることが不可能な繊細な職人芸やエレガントさが込められており、 それが、現代でもデューセンバーグがコレクターされている理由でもある。

 「アメリカ一の高速」については、デューセンバーグはアメリカ社として はじめて1921年のフランス・グランプリを制したことでも知られる。
 1928年に誕生した『モデルJ』は265HPという高出力の DOHC、直列8気筒7リッターエンジンを搭載し、 3トンもある車体を最高時速192kmという高速で引っ張った。
 モノグラムがキット化した「モデルSJ」は、名前の通りJ型にスーパーチャージャーをオプション装備したもので1932年に誕生した。なんと320HPで 最高時速208kmを誇り、フルスロットルにすると まっすぐ走らないとまで言われた。それは当然で この馬力は1930年代当時の戦闘機に並ぶ強力さだったからである。
 (引用および 参考 wikipediaより)


キットについて

 1960年代初頭にモノグラムから今でも名作として名高いビンテージカーシリーズが4台リリースされた。メルセデスベンツ540k,パッカード・ボートテイル、ロールスロイス、そしてもう一台、中でも一番人気だったのが この デューセンバーグ・モデルSJ 1934年型トロピード・フェートンだった。
 
 60年代当時のモノグラムプラモデルは輸入代理店だったアサヒ玩具による輸入品しかなく、極めて高価で、「手が届かない憧れの舶来品」だった。 

 それが1970年代に提携したバンダイから国内版が発売され、やっと買うことができる価格になったのはありがたかった。今回製作したのはその国内版である。写真解説入りの日本語の親切な説明書がついており、塗装説明も詳細なものだ。


 


バンダイモノグラム国内版 箱絵 

製作

■ シャーシーとエンジン
 アメリカ製、特にモノグラムのCARモデルの素晴らしさは、なんといっても実物どおりにシャーシー、エンジンが再現されていることだ。このデューセンバーグでも1960年初頭の製品化にもかかわらず、実物どおりにラダーフレームを組み、その上にボディを架装する構造になっていて、実物車の構造をそのままに理解できる。
 同時代の日本のCARプラモデルが、どれも板シャーシーに車軸を通して、ボディを乗せただけのごく簡便なドンガラモデルだったから、全く別次元のプラモデルだった。それが舶来プラモデルが崇められる理由でもあったのだ。また、メッキ部品のメッキが厚く、永久に豪華な雰囲気を保つかのごとく輝いているのも 国産プラモデルに圧倒的に勝る品質の良さだった。
 ビンテージカーのエンジン本体は緑に塗装されていることが多い。エンジンヘッド、マニホールド、などをシルバーで丁寧に塗装して、スーパーチャージャーをヘッドに装備すればエンジンは完成する。ラダーフレームのシャーシーはとにかく秀逸。艶ありのブラックに塗ったシャーシーにエンジンを組み込み、排気管をつけ、車輪を装着すればシャーシーは完了である。
 ショックアブソーバー、フロントアクスル、リアアクスル、タイロッドアームの詳細に至るまで、こだわって再現されている。当時から実物を取材し、それをできるだけ再現するように設計するという文化が 極初期からのアメリカのプラモデルメーカーに根付いていたことがうかがえる。

組みあがったラダーフレームのシャーシー


 車輪は、ホワイトタイヤを再現するために、右のような構造になっている。ホワイトリボンはプラ部品なので、艶消しホワイトにあらかじめ塗っておき、組むのが良いだろう。


コクピット
 コクピットはシートを含みバスタブに一発成形されているが、このシートの彫刻がまた凄い。
ハンブロールのレザーで塗装した。前席床カーペットにはグレーのフェルトシートを100均で買い、大きさを合わせて切って敷いてみた。後席床にはレッドカーペットを敷いた。
 インストメンタルパネルは表面のウロコ状文様が再現された豪華なメッキ部品で、計器メーターだけ黒艶消しで塗り分けた。




ボディ
 モデルが再現している2カウルの独特のボディはマーフィー製フェートンで、数あるバリエーションの中でも有名なモデルである。 ボデイの色は各自 好きな色で良い。派手なものでは 映画「華麗なるギャツビー」にも登場した黄色のデューセンバーグという有名な車もある。  今回は金色とし、Mrカラーのゴールドを丁寧に吹き付けた。ボディのアクセントとなるフェンダーエッジのシルバーメッキ部分はのり付きアルミ箔を貼って追加している。また、ランニングボードもアルミ箔ばりとした。これだけで豪華さが格段とアップする。
 クリアーコートはせっかくのゴールドの艶が減退するので行なわず、最後に実車用のカルナバカーワックスを布につけて磨いた。




 ウインドシールドや、ヘッドライトのレンズは接着時に接着剤で汚したくないものだ。ここで失敗するとこれまでの苦労全体が無駄になってしまう。先月でも紹介した手工芸用のボンド(木工ボンドと同じもので、先端に細いノズルがついている。)を使用すると、プラスチック材料を侵さず、乾燥すると完全に透明になり、お奨め。
 また、この車は豪華さが売りなので、メッキ部品のランナー端面もアルミ箔で丁寧に補修すると 見栄えが格段に違ってくると思う。


完成

 完成すると1/24だが 非常に大きな車となる。7リッターエンジンを搭載しているのだから、半端ではない。それでいて造形はシックな佇まいである。フェンダーのスペアホイールやむき出しの4本のエキゾーストパイプのシルバーメッキがアクセントになり、ますます豪華さを演出している。  ハリウッドスターたちがこぞって買い求めた理由にも納得できる。アメリカンビューティの造形の神髄がここにあるのだろう。
 このデューセンバーグのトロピード・フェートン タイプは、所有者が自分自身でプライベートタイムに乗りまわすものだ。これもアメリカ人の独立気質にマッチし、オープンで力強く、海が見える風光明媚な崖道を恋人と2人だけでドライブする姿が映画にもよく登場する。






 さて、もう一台のデューセンバーグを平行して作ったので紹介したい。こちらは、同じモノグラムのメタルマスターシリーズでDUESENBERG TOWN CARとして発売されているもの。
タイヤ以外が、全て シルバーとゴールドのメッキ部品で構成されている。
 後席がタウンカーの仕様になっている。つまり、所有者がゆったりと乗りこむのは後席で、オープンの前席がお抱え運転手となっており、いわゆるショーファー・ドリブンである。後部には、小旅行用のトランクも搭載できるようになっている。このボディ仕様の実車は5台を数えるのみで、別名 ビバリー・セダンと呼ばれている。







デユーセンバーグその後

 『モデルSJ』が発売された後、当時のオーナーであるエレット・ロバン・コード(オーバーン(Auburn)、コード(Cord)という自動車会社も所有していた。)の破産によって1937年にデューセンバーグ社は倒産、その歴史に幕を降ろした。
 しかし、デューセンバーグ社が倒産した後も、その名声を惜しみ、復活の試みが3度繰り返されている。
 1度目は第2次大戦終了直後の1947年、弟のオーガスト・デューセンバーグはキャブレターではなく燃料噴射装置を採用した大型8気筒車を計画した。実現すれば世界初の燃料噴射 装置搭載車になるはずだったが、計画倒れに終わってしまった。


 2度目は1966年で 兄フレッド・デューセンバーグの息子、フリッツ・デューセンバーグを中心にしたデューセンバーグ復活プロジェクトが立ち上がる。この時はヴァージル・エクスナーがデザインを担当し、クライスラー製のエンジンを搭載した試作車を作る所までこぎつけたものの本格的な生産に至る前に新デューセンバーグ社は倒産した。  試作車のスケッチ 

(http://www.madle.org/edues.htm より引用)


 21世紀の3度目のデューセンバーグ復活プロジェクトでは、メルセデス CLのプラットフォームを使って、その上にコーチボディを架装することが予定され、2007年の発売を目指して開発が続いていたようだが、2008年のリーマンショック以後は進捗状況の情報がない。    消滅してから80年経つ現在も、デューセンバーグ・ブランドの復活を目指す人達がいる。それはきっと デューセンバーグというビンテージカーがアメリカンドリームの成功と富の象徴として人々の記憶に強く残り続けているからに違いない。
 
 (引用および 参考 wikipediaより)






ビンテージ・ガレージ バックナンバー
ビンテージ・ガレージ バックナンバー
2014年8月号 第8回 ド・ディオン・ブートン (1904年型)(ユニオン 1/16)
DE DION BOUTON 1904 (UNION 1/16 )
2014年7月号 第7回 アルファロメオ2300 トゥーリング(1932)(ブラーゴメタルキット 1/18)
ALFA ROMEO 2300 TOURING(Burago Metal Kit 1/18)
2014年1月号  第6回 ベンツ 300SLR (レベルモノグラム 1/24) 
2013年12月号 第5回 BENTLEY 4.5L BLOWER (エレール 1/24)
2013年11月号 第4回 ブガッティ 35B(モノグラム 1/24) 
2013年10月号 第3回 BRABHAM F-3 (エレール  1/24) 
2013年9月号  第2回 ROB WALKER Team Lotus 72C (エブロ 1/20)
2013年8月号  第1回  ホンダF1 RA272(タミヤ 1/20)


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Vol73  2014 September.     www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
                    editor Hiromichi Taguchi 田口博通 /無断転載を禁ず  リンクフリー

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