既にF/A-18への転換がきまっている、VF-161とVF-151のF-4S、そしてVA-93とVA-56のA-7Eにとっては、最後のミッドウェイとのクルーズが1986年の初頭に待っていた。1月17日に横須賀を発った空母ミッドウェイは、CVW-5の機体を収容し、南シナ海へと向かった。フィリピンのスビック・ベイで休息後はタイへ向かい、その後年次演習となっている”Team Spirit‘86“に参加するため朝鮮半島沖合まで北上し、演習に加わった。演習後の3月23日、黄海を航行中にミッドウェイと北朝鮮の漁船とが衝突するという事故が起こる。漁船は丁度右舷の第1エレベータ付近に衝突したようだが、ミッドウェイの船体はほとんど無傷に近い状態であった。漁船の乗組員は韓国側に引き渡され、ミッドウェイは帰国の途に就いた。そして3月25日、東シナ海を航行中のミッドウェイから艦載機を厚木に戻すための発艦作業が始まった。VF-161,VF-151のF-4S、そしてVA-93,VA-56のA-7Eにとっては空母ミッドウェイからの最後の発艦であり、特にVF-161とVF-151による発艦は、米海軍ファントムII実戦飛行隊の空母での運用を締めくくるイヴェントとなった。
CVW-5の艦載機は、25日から26日にかけて厚木にフライ・インしているが、空母ミッドウェイは25日に佐世保に入港し、翌日出港し、横須賀には3月30日に入港し、6号ドックへと入渠した。一方、厚木に戻ったVF-161,VF-151, VA-93,VA-56、及びVAQ-136は、トランスパックの準備に取り掛かった。VAQ-136は能力の向上したEA-6B ICAP IIに機体を更新するため、一旦本国のNAS Whidbey Islandsへ帰還することになったのである。
そしてついにその日がやってきた。VF-161とVF-151のハンガー内には”Phantom For Ever”などの貼り紙が、そこら中に貼り付けられ、整備員たちも最後のファントムIIをベスト・コンディションで送り出そうとしていた。第1陣の出発は4月8日、まずVF-161のF-4S 5機とVF-151のF-4S 1機が朝の7時50分に厚木基地のR/W01から離陸を開始し、その30分後にはVF-151のF-4S 6機の離陸が始まり、トランスパックに旅発った。第2陣は4月26日に残るVF-161のF-4S 7機とVF-151のF-4S 1機とが、第1陣と同様に2波に分かれて離陸した。しかし、この日離陸したVF-161の1機(Bu.No. 155880)が燃料系統に故障を来たし、エスコートする僚機とともに厚木に引き返してきた。この2機のF-4SがCONUSに向け再出発したのが5月5日で、この日の離陸が、日本での海軍ファントムII最後の姿となった。
なお当初の計画では、日本を去ったVF-161、VF-151、VA-93、VA-56の各飛行隊はNAS LemooreでF/A-18Aに機種転換し、戦闘攻撃飛行隊(VFA)として厚木に戻る予定であった。しかしVA-93とVA-56は1986年8月31日付で解隊となり、またVF-161とVF-151は機種をF/A-18Aに転換し、1986年7月1日付でそれぞれ呼称をVFA-161、VFA-151に変更したものの、VFA-161はCOMLATWINGPACへ転属となり、結局VFA-151のみが日本へ戻ることになったのである。
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