Home >今月のハイライト> CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第16話 


CARRIER AIR WING FIVE

CVW-5

Part16                                  Photo. U.S. NAVY

by Kiyoshi Iwama

Tip of the Sword” 、CVW-5のハンガーに描かれた彼らのスローガンである。空母を守る剣の先は、彼ら自身であり、「剣の先の如く鋭くあれ」と戒めている。またそれは遠く母国を離れ、太平洋の西岸に置かれた剣の先をも意味するように思われる。海外を拠点とする米海軍唯一の空母航空団としてCVW-5が厚木基地に本拠地を置いて、35年が過ぎた。その間、飛行隊の編成や使用する航空機も大きく変わり、その年月の長さを感じさせる。もう少しで在日40年を迎えるが、そのとき彼らは、その記念日を岩国基地で迎える。
我々飛行機ファンを大いに楽しませてくれたCVW-5であるが、厚木基地での活動も残り少なくなった。これを機会に、CVW-5のこれまでを振り返ってみたい。

これまでのあらすじ

資料記事
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第15話 Midway Magicとファントム時代の終焉
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第14話 再び平和に
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第13話(Rev.B) 日本へ 
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第12話(Rev.C) ヴェトナム戦争(後編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第11話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-3)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第10話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-2)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第9話 ヴェトナム戦争(中編-1)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第8話 ヴェトナム戦争(前編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第7話 東西冷戦、朝鮮戦争後
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第6話 朝鮮戦争(後編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第5話)朝鮮戦争(中編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第4話)朝鮮戦争(前編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第3話)朝鮮戦争勃発
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第2話)ジェット時代の夜明け
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第1話)誕生

第16話 ホーネット時代の到来

横須賀基地の6号ドックに入渠した空母ミッドウェイのオーバーホール工事が1986年4月の後半から始まった。今回のホーバーホールは、F/A-18Aホーネット飛行隊の搭載に伴う近代化改修と、艦船の寿命延伸プログラムSLEP(Ship Life Extension Program)に準ずるもので、米海軍の現役空母としては初の海外工事となる。改修工事の主契約者にはこれまでにも横須賀基地内での艦船修理を請け負った経験のある住友重機が選ばれた。改修は、米国内で実施された場合規模からすると、通常12カ月から14カ月を要する作業を8カ月で行うという驚異的なスケジュールであった。改修の主な内容は、凌波性と乾舷の改善を図るためのバルジの追加、大型ラダーの追加、航空機を射出するカタパルトの更新(ノーズ・ギア・ロンチ・システムの追加)、Mk7 MOD1ジェット排気偏向板の追加、アレスティング・ギアの駆動機構の更新、航空管制用コンソールの入れ替え、新しい対潜水艦戦用機材の搭載、F/A-18Aを搭載するための電子機器ショップなど支援設備の更新、そして飛行甲板の張り替え工事等であった。改修工事中のミッドウェイの写真の一部を紹介する。



横須賀基地6号ドックで改修を受ける空母ミッドウェイ。追加バルジ部が分かる。(1986年8月17日)
写真:筆者撮影



ドック内から見た艦首部分。人と比べるとのそ大きさが分かる。(1986年8月17日)
写真:筆者撮影




巨大な4基のスクリューと面積が増積されたラダー(1986年8月17日)
写真:筆者撮影




「41」の艦艇番号が見える改修中の艦橋部分。骨組みの状態になっている。(1986年8月17日)
写真:筆者撮影


しかし後になって判明することであるが、海上での安定性向上を狙って追加されたバルジであるが、反って安定性を損なうことが分かり、波高が2~3mに達すると航空機の離着艦が難しくなるという大きな問題が発覚する。この問題は結局解決されることなく、ミッドウェイの現役寿命を縮めることとなった。

さてこうした問題はミッドウェイの現役復帰以降の話で、この時期には改修工事が清々と進められていた。一方で、本国へ帰還したVF-161とVF-151のF/A-18Aへの転換訓練がカリフォルニア州のNAS Lemooreで始まった。また8月に解隊が決まったVA-93とVA-56の後任には、既にF/A-18Aへの機種転換が完了したVFA-195 “Dambusters”と、F/A-18Aへ機種転換中で、VFA-195の姉妹飛行隊であるVFA-192 “World Famous Golden Dragons”が就き、11月15日付でCVW-5に配属されることが、海軍より発表された。



トランスパックを前にNAS Fallonで訓練中のVFA-151のF/A-18A(162906/NF200)
出展:U.S. Defense Imagery photo VIRIN: DN-ST-89-01917

これで11月に改修の終わる空母ミッドウェイに搭載されるCVW-5は、最新のF/A-18Aを装備するVFA-161、VFA-151、VFA-192、VFA-195の4個戦闘攻撃飛行隊、A-6E TRAM/KA-6Dを装備するVA-115攻撃飛行隊、電子機器を換装したEA-6B ICAP IIを装備するVAQ-136戦術電子戦飛行隊、E-2Cを装備するVAW-115早期警戒飛行隊、そしてSH-3Hを装備するSH-12対潜ヘリコプター飛行隊で構成される、強力な空母航空団に変身することが想定された。

しかし、この計画は幻に終わる。前号にも書いたように、VFA-161が7月1日付でCOMLATWINGPAC(Commander Light Attack Wing Pacific @ NAS Lemoore: 太平洋艦隊軽攻撃航空団司令部)へ転属となり、VFA-161が厚木へ戻ることはなかった。

そんな中、空母ミッドウェイの改修とオーバーホールも急ピッチで進んでいた。11月に入るとミッドウェイとCVW-5に動きが出てきた。まず、改修工事とオーバーホールを終えたミッドウェイが11月3日に横須賀を出港、3日間の航海訓練を行った。その後もミッドウェイは年末まで短期間の出入港を繰り返した。

一方機種更新を行った艦載機の方であるが、まずは11月9日に最新のICAP IIに能力向上したVAQ-136のEA-6B Prowler 4機がワシントン州のNAS Whidbey Islandsからトランスパックで厚木にフライ・インした。さらに3波に分かれて36機のF/A-18Aが厚木に到着した。VAQ-136同様、トランスパックでの長旅である。カリフォルニア州のNAS Lemooreを出発したF/A-18Aは、途中空軍の給油機の支援を受けながら、ハワイのNAS Berbers Point、グアムのNAS Aganaを経由して厚木基地に到着した。第1陣は11月14日に到着したVFA-195の6機で、続いて翌11月15日にはVFA-195の残る6機とVFA-192の6機の計12機が到着。そして11月21日にVFA-192の残る6機とVFA-151の12機、計18機が到着した。こうしてCVW-5へ配属となったF/A-18A Hornet全36機が一堂に会したことになる。

当初の計画では、100番台のモデックス・ナンバーを付けるVFA-161も戻る予定であったため、厚木にフライ・インしたホーネット飛行隊には、200番台(VFA-151)、300番台(VFA-192) 、400番台(VFA-195)のモデックスが付けられていた。

そしてF/A-18Aの各飛行隊が海上試験を続ける空母ミッドウェイへの離着艦を試みる日がやってきた。11月28日3度目の試験航海で横須賀を離れたミッドウェイにCVW-5のVFA-195、VFA-151、VFA-192のホーネットが初めて着艦し、その後もミッドウェイへの適正訓練を繰り返し行った。



厚木基地のエプロンに整列した、到着間もないVFA-151のF/A-18A “Hornet”。
この時点では、まだストレーキ上に境界層フェンスは見られない。
(1986年11月23日) 写真:筆者撮影



厚木基地のフライトラインに並んだVFA-192のF/A-18A(1986年11月23日)
写真:筆者撮影



厚木基地に整列したVFA-195のF/A-18A。モデックス・ナンバーが400番台である。(1986年11月23日)
写真:筆者撮影


CV-43 空母コーラルシーに搭載されるCVW-13ではF/A-18を4個飛行隊とA-6E/KA-6Dの1個飛行隊で、戦闘・攻撃部隊を構成することになっていたが、空母ミッドウェイでは米海軍は、新たな空母航空団の編成を模索するようで、1986年12月1日付でワシントン州NAS Whidbey Islandsに新編された、A-6E/KA-6Dで構成されるVA-185“Nighthawks”をCVW-5に配属すると発表した。これによりCVW-5の構成は、VFAが3個飛行隊、VAが2個飛行隊、VAWが1個飛行隊、VAQが1個飛行隊、HSが1飛行隊という構成となった。なお、VA-185の厚木への配備は1987年9月で、それまでの間は、西海岸の基地での戦術・爆撃訓練とともに、空母エンタープライズ上での空母適正訓練が実施されることになる。

またこの決定により、400番台のモデックス・ナンバーを付けていたVFA-195が100番台のモデックスに書き換えられ、VA-185が400番台のモデックス・ナンバーを使用することになる。F/A-18が戦闘・攻撃機で双方の機能を有するため、VFAのどの飛行隊も同じ能力を有しているが、攻撃飛行隊の系譜を有するVFA-195が100番台のモデックス・ナンバーを使用することになった点は、興味深い。

1987年1月9日、空母ミッドウェイが第7艦隊の空母戦闘群に復帰し、横須賀を出港、改修後初のクルーズとして西太平洋へと向かう。そして、厚木をフライ・オフした最新鋭のF/A-18Aを中心とする新たな編成となったCVW-5の艦載機群を太平洋上で収容した。この時の飛行隊の編成を表16-1に示す。


表16‐1 1987年1月9日~1987年3月20日の西太平洋展開時のCVW-5の編成


このクルーズでは、ミッドウェイ機動部隊とCVW-5は、米韓合同軍事演習 ”Exercise Team Spirit ‘87” に参加した。朝鮮半島周辺で約10週間繰り広げられたチーム・スピリット’87では米韓の約20万人の兵士が参加する、自由主義圏でも最大規模の軍事演習となった。演習を終えたミッドウェイ機動部隊は、3月20日に横須賀に帰港した。

さらに4月23日にはミッドウェイ機動部隊とCVW-5は、香港、フィリピン、オーストラリアへのクルーズに出発している。このクルーズでは、フィリピンのスビックを出港し、5月22日、オーストラリアのシドニーへ向かう途中、空母ミッドウェイにAV-8B Harrierが初めて着艦するという出来事があった。このハリアーは揚陸強襲艦LHA-3 “USS Belleau Wood”から飛来したVMA-331所属機の機体であった。一方で、シドニー入港直前の6月3日に事故が起こった。空母ミッドウェイに着艦してきたVFA-192のF/A-18Aが、翼端に搭載していたAIM-9M Sidewinderをランチャーから落下させたのである。幸いにもミサイルは飛行甲板上を滑って海に落ち、そのまま水没したため、怪我人や艦への損傷はなかった。その後もCVW-5の飛行隊は無事任務を終え、7月に全機、厚木にフライ・インしている。

実はこのクルーズの最中にCVW-5のホーム・ベースである厚木基地では、5月17日に三軍統合記念日が開催されている。主の抜けた厚木基地ではあったが、生憎の天気の中、空母コンステレーションからVF-154 “Black Knights”のF-14A(161618/NK104)とVF-21 “Free Lancers” のF-14A(161601/NK205)が飛来し、展示された。

丁度この時期、1986年度全米興行成績1位を記録した映画”Top Gun”が、日本でも前年の年末に公開され、興行ランキングで一躍トップの座に躍り出ていた。主演のトム・クルーズとともに映画の主役となったF-14A Tomcatは、誰もが知る人気者で、そのトムキャットが厚木で公開されるとあり、多くのファンが押し寄せた。しかも、展示されたのはVF-154とVF-21の機体である。4年後にこれらの飛行隊が、F-14AとともにCVW-5に配属されるとは、誰が予測しえたであろうか?



厚木の三軍統合記念日に空母キティ・ホークから飛来したVF-154 “Black Knights”のF-14A
(1987年5月17日)写真:筆者撮影




厚木の三軍記念日に展示され、注目を浴びたVF-21 “Lancers”のF-14A(1987年5月17日)
写真:筆者撮影

さて、CVW-5が厚木に帰還して約2ヵ月後の9月13日の午後、CVW-5の新しい仲間となるVA-185 “Nighthawks”の第1陣のA-6E、4機(NF401~NF404)が、ワシントン州のNAS Whidbey Islandsからトランスパックされ、次々と厚木基地に着陸した。VA-185が到着して間もなく、ミッドウェイとCVW-5は第7艦隊と海上自衛隊の統合演習、”Annualex ‘87”に10日間ほど参加した。このとき新参のVA-185も初めてミッドウェイに展開している。




訓練を終えて厚木のR/W01に着陸するVA-185のA-6E(159575)/NF403(1987年10月12日)
写真:筆者撮影


この日米統合演習のすぐあと、10月15日にはミッドウェイ機動部隊は横須賀を出港、厚木をフライ・オフしたCVW-5を収納した後、約半年のインド洋クルーズへと旅立った。この時の飛行隊の編成を表16‐2に示す。VA-185が加わり、CVW-5の編成は一段落した。以降ミッドウェイが退役するまでの間は、この編成で運用されている。

表16‐2 1987年10月15日~1988年4月11日の西太平洋/インド洋展開時のCVW-5の編成


トランスパックで日本に到着したばかりのVA-185にとっては、いきなり半年間のクルーズは厳しいスケジュールであった。このクルーズではCVW-5とミッドウェイ機動部隊は、北アラビア海へ直行し、11月、12月の2ヶ月間をペルシャ湾での作戦、”Operation ERNEST WILL”に従事した。そして年末にこの作戦の任務を終了し、12月31日にミッドウェイ機動部隊は、ケニアのモンバサに寄港している。そして年が明けて1988年1月7日にモンバサを出港、その後フォリピンのスビック、タイのパタヤ・ビーチ等へ寄港し、そして東シナ海から日本海へと入り、年次行事となった米韓統合演習 ”Exercise Team Spirit ‘88” に参加した。チーム・スピリット’88の演習終了後は佐世保で休息をとった後、4月11日に横須賀に帰還している。

CVW-5とミッドウェイ機動部隊が参加した“Operation ERNEST WILL”とは、ペルシャ湾を航行するクウェイト船籍のタンカーをイラン艦艇の攻撃から保護する作戦で、クウェイト政府からの要請を受け、当時のレーガン政権がとった対抗作戦である。但し、米国の法律では米国海軍の艦艇を他国の商船の護衛に直接付けることは禁止されており、クウェイトのタンカーを一旦米国籍に変更しての護衛活動となった。米海軍のSEALsやSBTs(Special Boat Teams)等の特殊部隊とともに、この地域を任務地域とする第7艦隊をはじめ、第3艦隊、地中海の第6艦隊などから艦船が投入され、大規模な作戦となった。CVW-5は空母ミッドウェイとともに約2ヶ月間、この作戦に従事し、ホルムズ海峡やペルシャ湾岸でのエアー・カバーを担当している。




CVW-5を載せ、北アラビア海を航行する空母ミッドウェイ(1988年2月)
出展:US Navy Official Photo Archive (NS024138)


CVW-5はミッドウェイの横須賀帰港を前に厚木にフライ・インしており、恒例の5月の三軍統合記念日には、珍しく厚木で翼を休めていた。このため5月22日の三軍統合記念日には、12機のF/A-18A、2機のA-6E、そして2機のEA-6Bによるダブル・ダイアモンド編隊のフライパスを見せるなど、ファンサービスに力を入れた。

このあとCVW-5と空母ミッドウェイは、9月に佐世保と釜山を訪れ、10月14日に横須賀に戻った。そしてその後、10月18日には西太平洋へ展開のため、フォリピンのスビックに向け出発した。

一方で、ミッドウェイの重量増加に対する浮力向上策として実施されたバルジ追加工事の結果、船の不安定さが増したとのことで、上院軍事委員会ではミッドウェイの退役を決議する。このため海軍は委員会への種々のロビー活動で対抗し、とりあえず、即時退役決議は取り消され、不安定性解消のための修理費として$138Mが認められた。

1989年になるとCVW-5と空母ミッドウェイは1月21日から2月24日にかけ西太平洋へのクルーズがあり、フィリピンのスビックを中心に展開した。そして休むことなく、帰還して直ぐの2月27日には日本を発ち、再度西太平洋へと展開している。この間、3月には恒例の米韓統合演習”Exercise Team Spirit ‘89”に参加し、演習終了後は釜山、香港に寄港して、ミッドウェイは4月9日に横須賀に戻っている。一方CVW-5の方は、5月21日には厚木基地の三軍統合記念日にホスト役を演じた。そしてその10日後の5月31日に、CVW-5は厚木を飛び発ち、空母ミッドウェイとともに西太平洋への展開に出発する。
少し時間を戻すが、1985年にソ連共産党書記長に就任したミカエル・ゴルバチョフは、民主化改革路線を走った。この影響を受けたのが、中国共産党中央委員会総書記の胡耀邦で、彼は言論の自由化を推進した。しかし中国では共産党一党独裁を死守しようとする民主化反対勢力が、胡耀邦を失脚に追いやった。その胡耀邦が1989年4月15日に死去したため、学生を中心とする民主化活動家らが追悼集会を開催。この集会はやがて民主化を求める声となり、6月4日の天安門広場でのデモへと発展する。そして民主化を求めるデモ隊とこれを規制しようとする軍や警察との衝突により、多数の死傷者が出る大事件となった。

西太平洋展開に出発したCVW-5と空母ミッドウェイは、この事件の影響を受け中国から脱出しようとする米国人救出のため、中国近海でのスタンバイを命じられ、6月7日、8日の両日、緊急出動に備えた。しかし、幸いにしてこの事件は彼らの出動にはつながらず、CVW-5とミッドウェイ機動部隊は目的地のフィリピンとタイ方面へと向かった。その後6月23日、フィリピンのルソン島西方90マイル付近での訓練中、ミッドウェイからカタパルト射出されたVFA-151のF/A-18Aがエンジントラブルを発生、上昇できずにそのまま海面に墜落した。しかしパイロットはエジェクション・シートで脱出し、HS-12のSH-3Hによって無事救助された。

さらにこの年は、インド洋への長期クルーズが待っていた。CVW-5とミッドウェイ機動部隊が最初に向かったタイでは、丁度、タイと米国との統合演習”Exercise Thalay Thai ‘89”が進行中で、8月28日から3日間、この演習に参加した。そして演習を離れた8月31日にパタヤ・ビーチに入港。その後シンガポールとケニアのモンバサと寄港し、ディエゴ・ガルシアの南32マイルのインド洋での訓練中に事故が起こった。1機のホーネットが、誤って500lb爆弾を同行していたミサイル巡洋艦CG-24 “USS Reeves”の甲板に落としてしまったのである。




ミサイル巡洋艦CG-24 “USS Reeves”
出展:US Navy Official Photo Archive

爆弾を落とされたReevesの艦首には5フィートの穴が開いたものの、不幸中の幸いで、僅かな出火と5名の水兵の怪我だけで事なきを得た。その後、CVW-5とミッドウェイ機動部隊はオーストラリアのパースに寄港し、12月11日に日本へ帰還している。

時代はいよいよ1990年代へ移ろうとしていたが、1980年代最後の年となった89年は世界の変革を匂わせる年となった。6月の中国での天安門事件は、中国での民主化運動の始まりとなり、6月8日からパリのル・ブールジェ空港で開催されたパリ・エアーショーでは、ソ連がゴルバチョフ書記長の掲げるグラスノスチ(情報公開)のもと、これまで秘密にしていた最先端の航空機が一挙に西側に公開され、西側軍事関係者を驚かせた。それは軍事衛星が撮影した写真でしか知られなかった、Su-25、Su-27、そしてMiG-29等の最新鋭機であった。そして公開飛行展示されたそれら軍用機の性能は、西側の予測をはるかに凌ぐものであった。ソ連で進行するペレストロイカが東西の冷戦終焉につながるのではないかという期待を、誰もが予感することになった。そして11月9日、東ドイツ政府から発表された東ドイツ市民への旅行許可の大幅緩和が、東ドイツ瓦解の一歩となり、東西ベルリン市民によるベルリンの壁破壊活動が11月10日に始まるのである。世界はこうした変化に春の到来を感じた。



パリ国際航空宇宙ショーに展示されたソ連空軍のSu-27UB(1989年6月16日)
写真:筆者撮影


そして1990年が明けた。空母ミッドウェイは就役45年の記念の年を迎えることになる。しかし、彼女が2月に海軍から受け取った通達は、1991年の現役引退を知らせるものであった。そうした知らせが届いたものの任務はこれまで通り続けられ、CVW-5と空母ミッドウェイは、2月20日から4月6日の間、この年最初の西太平洋クルーズを行った。その後6月6日を皮切りに日本近海での訓練を繰り返していたが、6月18日に横須賀を出港した後に大事故が起こった。6月20日、横須賀から北東に約125海里離れた太平洋上での飛行訓練中にカタパルトのスチーム室付近で2度の爆発が発生した。この爆発で3名の消防士が死亡、また8名の消防士が重傷を負う結果となった。事故の原因は、このカタパルトのスチーム室直下にある燃料タンクから燃料が漏れだし、ガス化し引火したものと思われる。また爆発により発生した火災は、鎮火まで約10時間を要し、艦内に大きなダメージを残した。この事故は直ぐ様メディアにも伝わり、翌21日横須賀に入港するミッドウェイは多くの報道陣に取り囲まれることになった。



空母ミッドウェイの飛行甲板に描かれた、就役45年を祝う、記念の人文字(1990年)
出展:US Navy Official Photo Archive


                                       (この章終わり)

私のアルバムから (本章に関連する当時のCVW-5の機体)




1987年8月30日、厚木で翼を休めるVFA-195のF/A-18A(162831/ NF106)モデックスが100番台となった。




1987年8月30日に厚木基地で撮影したVA-115のA-6E(161674/ NF501)




1987年8月30日に厚木基地で撮影したVA-115 のKA-6D(149485/NF514)




1987年8月30日に厚木基地で撮影したVAQ -136 のEA-6B(162226/NF606)



1987年8月30日に厚木基地で撮影したHS-12 のSH-3H(149906/NF612)




1990年5月20日の厚木基地三軍統合記念日にフライトラインに並ぶVFA-192のF/A-18A(162884/NF300)




1990年5月20日の厚木基地三軍統合記念日に展示飛行に出発するVFA -151のF/A-18A(162906/NF200)
ロービジ・マーク全盛期にあって数少ないカラーマーキングを施したCAG機




1990年5月20日の厚木基地三軍統合記念日に,展示飛行へ向かうためエンジンを始動した、
VAW-115のE-2C(158646/NF601)


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Vol.42 2012 June   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /editor Hiromichi Taguchi 田口博通
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