“Tip of the Sword” 、CVW-5のハンガーに描かれた彼らのスローガンである。空母を守る剣の先は、彼ら自身であり、「剣の先の如く鋭くあれ」と戒めている。またそれは遠く母国を離れ、太平洋の西岸に置かれた剣の先をも意味するように思われる。海外を拠点とする米海軍唯一の空母航空団としてCVW-5が厚木基地に本拠地を置いて、35年が過ぎた。その間、飛行隊の編成や使用する航空機も大きく変わり、その年月の長さを感じさせる。もう少しで在日40年を迎えるが、そのとき彼らは、その記念日を岩国基地で迎える。
我々飛行機ファンを大いに楽しませてくれたCVW-5であるが、厚木基地での活動も残り少なくなった。これを機会に、CVW-5のこれまでを振り返ってみたい。
横須賀基地の6号ドックに入渠した空母ミッドウェイのオーバーホール工事が1986年4月の後半から始まった。今回のホーバーホールは、F/A-18Aホーネット飛行隊の搭載に伴う近代化改修と、艦船の寿命延伸プログラムSLEP(Ship Life Extension Program)に準ずるもので、米海軍の現役空母としては初の海外工事となる。改修工事の主契約者にはこれまでにも横須賀基地内での艦船修理を請け負った経験のある住友重機が選ばれた。改修は、米国内で実施された場合規模からすると、通常12カ月から14カ月を要する作業を8カ月で行うという驚異的なスケジュールであった。改修の主な内容は、凌波性と乾舷の改善を図るためのバルジの追加、大型ラダーの追加、航空機を射出するカタパルトの更新(ノーズ・ギア・ロンチ・システムの追加)、Mk7 MOD1ジェット排気偏向板の追加、アレスティング・ギアの駆動機構の更新、航空管制用コンソールの入れ替え、新しい対潜水艦戦用機材の搭載、F/A-18Aを搭載するための電子機器ショップなど支援設備の更新、そして飛行甲板の張り替え工事等であった。改修工事中のミッドウェイの写真の一部を紹介する。
さてこうした問題はミッドウェイの現役復帰以降の話で、この時期には改修工事が清々と進められていた。一方で、本国へ帰還したVF-161とVF-151のF/A-18Aへの転換訓練がカリフォルニア州のNAS Lemooreで始まった。また8月に解隊が決まったVA-93とVA-56の後任には、既にF/A-18Aへの機種転換が完了したVFA-195 “Dambusters”と、F/A-18Aへ機種転換中で、VFA-195の姉妹飛行隊であるVFA-192 “World Famous Golden Dragons”が就き、11月15日付でCVW-5に配属されることが、海軍より発表された。
トランスパックで日本に到着したばかりのVA-185にとっては、いきなり半年間のクルーズは厳しいスケジュールであった。このクルーズではCVW-5とミッドウェイ機動部隊は、北アラビア海へ直行し、11月、12月の2ヶ月間をペルシャ湾での作戦、”Operation ERNEST WILL”に従事した。そして年末にこの作戦の任務を終了し、12月31日にミッドウェイ機動部隊は、ケニアのモンバサに寄港している。そして年が明けて1988年1月7日にモンバサを出港、その後フォリピンのスビック、タイのパタヤ・ビーチ等へ寄港し、そして東シナ海から日本海へと入り、年次行事となった米韓統合演習 ”Exercise Team Spirit ‘88” に参加した。チーム・スピリット’88の演習終了後は佐世保で休息をとった後、4月11日に横須賀に帰還している。
CVW-5とミッドウェイ機動部隊が参加した“Operation ERNEST WILL”とは、ペルシャ湾を航行するクウェイト船籍のタンカーをイラン艦艇の攻撃から保護する作戦で、クウェイト政府からの要請を受け、当時のレーガン政権がとった対抗作戦である。但し、米国の法律では米国海軍の艦艇を他国の商船の護衛に直接付けることは禁止されており、クウェイトのタンカーを一旦米国籍に変更しての護衛活動となった。米海軍のSEALsやSBTs(Special Boat Teams)等の特殊部隊とともに、この地域を任務地域とする第7艦隊をはじめ、第3艦隊、地中海の第6艦隊などから艦船が投入され、大規模な作戦となった。CVW-5は空母ミッドウェイとともに約2ヶ月間、この作戦に従事し、ホルムズ海峡やペルシャ湾岸でのエアー・カバーを担当している。
CVW-5を載せ、北アラビア海を航行する空母ミッドウェイ(1988年2月)
出展:US Navy Official Photo Archive (NS024138)
1989年になるとCVW-5と空母ミッドウェイは1月21日から2月24日にかけ西太平洋へのクルーズがあり、フィリピンのスビックを中心に展開した。そして休むことなく、帰還して直ぐの2月27日には日本を発ち、再度西太平洋へと展開している。この間、3月には恒例の米韓統合演習”Exercise Team Spirit ‘89”に参加し、演習終了後は釜山、香港に寄港して、ミッドウェイは4月9日に横須賀に戻っている。一方CVW-5の方は、5月21日には厚木基地の三軍統合記念日にホスト役を演じた。そしてその10日後の5月31日に、CVW-5は厚木を飛び発ち、空母ミッドウェイとともに西太平洋への展開に出発する。
少し時間を戻すが、1985年にソ連共産党書記長に就任したミカエル・ゴルバチョフは、民主化改革路線を走った。この影響を受けたのが、中国共産党中央委員会総書記の胡耀邦で、彼は言論の自由化を推進した。しかし中国では共産党一党独裁を死守しようとする民主化反対勢力が、胡耀邦を失脚に追いやった。その胡耀邦が1989年4月15日に死去したため、学生を中心とする民主化活動家らが追悼集会を開催。この集会はやがて民主化を求める声となり、6月4日の天安門広場でのデモへと発展する。そして民主化を求めるデモ隊とこれを規制しようとする軍や警察との衝突により、多数の死傷者が出る大事件となった。