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CARRIER AIR WING FIVE

CVW-5

Part20                                  Photo. U.S. NAVY

by Kiyoshi Iwama

Tip of the Sword” 、CVW-5のハンガーに描かれた彼らのスローガンである。空母を守る剣の先は、彼ら自身であり、「剣の先の如く鋭くあれ」と戒めている。またそれは遠く母国を離れ、太平洋の西岸に置かれた剣の先をも意味するように思われる。海外を拠点とする米海軍唯一の空母航空団としてCVW-5が厚木基地に本拠地を置いて、35年が過ぎた。その間、飛行隊の編成や使用する航空機も大きく変わり、その年月の長さを感じさせる。もう少しで在日40年を迎えるが、そのとき彼らは、その記念日を岩国基地で迎える。
我々飛行機ファンを大いに楽しませてくれたCVW-5であるが、厚木基地での活動も残り少なくなった。これを機会に、CVW-5のこれまでを振り返ってみたい。

これまでのあらすじ

資料記事
第19話 イラクを睨む
第18話 ミッドウェイからインディペンデンスへ
第17話 湾岸戦争とミッドウェイの退役
第16話 ホーネット時代の到来
第15話 Midway Magicとファントム時代の終焉
第14話 再び平和に
第13話(Rev.B) 日本へ 
第12話(Rev.C) ヴェトナム戦争(後編)
第11話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-3)
第10話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-2)
第9話 ヴェトナム戦争(中編-1)
第8話 ヴェトナム戦争(前編)
第7話 東西冷戦、朝鮮戦争後
第6話 朝鮮戦争(後編)
第5話 朝鮮戦争(中編)
第4話 朝鮮戦争(前編)
第3話 朝鮮戦争勃発
第2話 ジェット時代の夜明け
第1話 誕生

第20話 インディペンデンスからキティー・ホークへ

 台湾の独立を認めない中国は、台湾の李登輝総統の訪米(1995年6月)による台湾独自の外交路線確立阻止を目的に、1995年7月、8月、そして10月、11月と、台湾近海において実弾ミサイルの発射演習や揚陸演習等を強行した。こうした中国の動きに対抗すべく、米国は嘉手納基地からRC-135U/V/W等の電子偵察機を頻繁に発進させ、人民解放軍の動きを探るとともに、12月19日にはペルシャ湾に展開する空母ニミッツの戦闘群を急遽台湾海峡に向かわせた。空母戦闘群の台湾海峡通過により中国への無言の圧力を加えようとした訳であるが、こうした米国の圧力にもかかわらず、台湾総統の直接選挙が実施される翌年(1996年)の3月に入ると、中国はまたもや台湾に対し軍事的脅威を与える行動に出た。3月5日、北京政府は新華社通信を通じ、3月8日から15日にかけ人民解放軍がミサイル発射演習を行うと通告。さらに、発射されるミサイルの着弾位置が台湾の基隆市(Keelung)と高雄市(Kaohsiung)の港から25~30mil以内になると警告してきた。この位置は台湾の領海内にあたり、台湾政府は当然のこと、米国政府も強く中国を非難するとともに、クリントン大統領は、インディペンデンスを中心とする第5空母戦闘群と、ペルシャ湾に展開中の空母ニミッツを中心とする第7空母戦闘群を台湾近海へ派遣すると発表した。インディペンデンスとCVW-5は2月9日に横須賀、厚木を出発し、黄海で訓練を行った後、フィリピンを訪問していたが、この大統領声明により急遽台湾東方水域へと移動し、中東から急派されてきたニミッツの戦闘群とともにその高度な作戦能力を誇示し、中国の動きを牽制した。幸いにも紛争に発展することなく3月20、中国の演習は終了、台湾の総統選挙も23日に無事終わり、李登輝氏が総統に再選された。こうして第3次台湾海峡危機は平穏化したが、この裏では米中の外交交渉による綱引きが演じられていたのである。台中間の緊張緩和の役割を果たしたインディペンデンスとCVW-5も台湾水域を離れ、3月27、28日にそれぞれ厚木と横須賀に帰還した。CVW-5のA-6飛行隊VA-115にとってはこの長期クルーズがCVW-5のメンバーとしては最後のクルーズとなり、帰還後の9月には解隊され、その後F/A-18Cを装備するVFA-115に再編されることが決まっていた。



1996年3月、台湾海峡に出動した空母インディペンデンスとCVW-5
出典: US Navy Photo Archive(NS091919901)
 
このクルーズにおける、CVW-5の編成を図20-1に示す。

表20-1 1996年2月9日、西太平洋展開時のCVW-5編成

CVW-5が戻った厚木基地では、4月13、14日の両日、オープンハウスの行事”Wings ‘96”が盛大に開催され、多数の展示機とCVW-5によるダイナミックな飛行展示が多くの来場者を喜ばせた。

厚木基地のオープンハウス”Wings ‘96”に地上展示されたCVW-5のCAG機たち。VF-154のF-14A (161621/NF100)、VFA-192のF/A-18C(163777/NF300)、VFA-195のF/A-18C(163703/NF400)、VA-115のA-6E(155704)、VAQ-136のEA-6B(163890/NF620)、HS-14のSH-60F(164797)、VAW-115のE-2C(161551/NF600)、VS-21のS-3B(160156/NF700)(左上から次ページ4枚目まで)
写真: 筆者撮影(1996年4月13日)


CVW-5機による展示飛行。左上5枚目よりVF-154、VFA-192、VFA-195、VA-115、VAQ-136によるダブル・ダイヤモンド編隊、VAW-115のE-2Cによる展示飛行、VF-154のF-14Aのダイヤモンド編隊、そしてVA-115のA-6EとVAQ-136のEA-6Bによる空中給油飛行

写真: 筆者撮影(1996年4月13日)


オープンハウス直後の4月18日には、日本を公式訪問中のクリントン大統領が、日米首脳会談の後、横須賀に停泊する空母インディペンデンスを訪れるというビッグイベントが実現した。そして5月2日、インディペンデンスとCVW-5は5月22日からハワイ東方沖で実施される環太平洋合同演習RIMPAC ‘96に参加するため、ハワイへと出発する。途中グアム島の西方での訓練中、VF-154のF-14Aが墜落するという事故が発生したが、パイロット、RIOとも無事救出された。またハワイでのRIMPAC演習中には、艦艇用近接防御システムCIWSの対空ターゲットを曳航していたVA-115のA-6E(NF500/155704)が、海上自衛隊の護衛艦“ゆうぎり”から発射されたCIWSの発射弾を受け、墜落するという事故が発生する。幸いパイロット、爆撃航法士とも軽傷を負ったものの脱出に成功し、海上自衛隊のSH-60Bに救助され、インディペンデンスへと搬送された。そして6月18日にはRIMPAC ’96を終了し、インディペンデンスの乗員とCVW-5のクルーは23日朝まで真珠湾海軍基地で休みを取った。その後日本への帰還の途につき、CVW-5は7月2日に厚木へフライイン、インディペンデンスは7月3日に横須賀に帰港している。なおCVW-5のVA-115は解隊準備の一環として、所属するA-6Eの約半数をハワイへ残し、厚木に帰還したのは5機のみであった。



ハワイ沖で海上自衛隊の護衛艦「ゆうぎり」の誤射により撃墜されたVA-115のA-6E(NF500/155704)
Wings ‘96で地上展示された際、撮影したもの 
写真: 筆者撮影(1996年)4月13日)


  またCVW-5がRIMPAC ‘96で厚木を留守にしている間に、VA-115の後任となるVFA-27 “Royal Maces”のF/A-18C(N) 12機が、厚木基地へトランスパックされてきた。これらのF/A-18C(N)は6月7日と8日に分けて到着している。これらの機体にはVF-21の解隊で欠番となっていた200番台のモデックスナンバーが付けられていた。




厚木のR/W19に着陸するVFA-27のF/A-18C(N)(164006/NF200)。ブラックテイルのCAG機である。
写真: 筆者撮影(1996年8月14日)


 青空の広がった7月17日の朝、1973年10月の配備以来CVW-5とともに33年間を厚木基地で過ごしたVA-115”Eagles”の最後の時がやってきた。RIMPAC ‘96から戻ってきた5機のA-6E にトランスパックにあたるクルーが乗り込み、エンジンが始動された。エンジンの状態が確認された後、5機のイントルーダはグランドクルー達の見送りを受け、滑走路へと順次エプロンを離れていった。そして管制塔からの離陸のクリアランスを待って、“雷親父”の名に相応しい轟音を残し、次々とランウェイ01を青空に吸い込まれるように離陸して行った。その内の1機(155662)にはRIMPACで失われたCAG機のカラフルなマーキングが施されていた。

8月と9月、CVW-5の航空機は、硫黄島、厚木、横田で夜間空母離着陸訓練(NLP)を実施した。CVW-5の艦載機は夜間の離着陸訓練のため、当初は三沢基地と岩国基地が使用されていたが、厚木基地から遠く、1982年頃から地元の厚木基地や横田基地で行われるようになった。しかし騒音問題で訴訟問題ともなり、日本政府は代替基飛行場を模索したが結論に至らず、1991年8月より硫黄島の航空基地使用を暫定案として設備の整備などを進めたが、米海軍側からは環境条件は良いとしても、厚木基地からは1,000kmの距離にあり不評を買っている。米海軍側も努めて硫黄島の使用を進めているが、やはり厚木でのNLPは今も続いており、艦載機群の岩国移転後も未解決問題となる大きな課題の一つとなっている。

秋も深まった11月5日~15日の間、空母インディペンデンスとCVW-5は日本海で実施された海上自衛隊との合同演習“ANNUALEX”に参加し、対潜水艦作戦、対空、対艦戦闘演習を行い、11月18日に帰還している。
例年早春に行われる米韓合同軍事演習チーム・スピリットは、1994年来中止されているが、1997年も中止となった。これは1993年6月、北朝鮮の核危機を巡り米朝共同声明で合意された内容に沿ったものである。このため、空母インディペンデンスとCVW-5は1997年2月5日に4ヶ月の長期展開のため日本を発ち、グアムへと向かった。表20-2にこのクルーズでのCVW-5の編成を示す。



表20-2 1997年2月15日、西太平洋展開時のCVW-5の編成

インディペンデンスのグアム寄港(アブラ港に沖止め)は米空母としては36年ぶりとなる記念すべきイベントとなった。その後インディペンデンスとCVW-5はオーストラリアに向かい3月10日から22日まで実施された米軍とオーストラリア国防軍との統合共同演習Exercise Tandem Thrust ‘97に参加し、27日から30日の間シドニー港に寄港した。この演習終了後、5月7日から始まる米軍とタイ国軍との合同演習”Exercise Cobra Gold ‘97”へ参加のためマレーシア経由でタイへと移動するが、その途中オーストラリアのニューウェールズ沖を航行中に2件の事故が起こった。まず4月1に夜間離発着訓練をしていたVAW-115のE-2Cが主翼端をHS-14のSH-60FとVS-21のS-3Bに接触させる事故が起こる。また4月3日には、カタパルトから射出されたVFA-27のF/A-18Cの主脚が破損し、傾いたホーネットの翼端がデッキのハッチドアに接触、その勢いでハッチドアがカタパルトオペレータの脚に当たり、重傷を負わせる事故が発生した。怪我を負ったカタパルトオペレータはHS-14のSH-60でシドニーの病院に運ばれる一方、F/A-18の方は、エンジン1基が停止した片肺状態で約1時間飛行し、220km離れたオーストラリア空軍基地RAAF Williamtownに壊れた脚で無事着陸した。そしてマレーシアではクラング港(Port Klang)に寄港し、インディペンデンスはクラング港に寄港した世界最初の空母となった。タイで実施された16回目となるこの年のコブラゴールド演習は、米太平洋軍が参加するこの年の最大規模の戦略的機動演習で、タイ国の防衛を目的にする、陸、海、空軍が参加した統合演習であった。この演習を終えたインディペンデンスとCVW-5は日本へ向かう帰路、5月に香港に寄港し、日本へは6月10日に帰還している。香港はこの年の7月1日に英国から中国へ返還されることになっており、インディペンデンスの寄港は、中国返還前の最後の米軍艦船の訪問となった。

CVW-5が日本に戻って2週間後の6月28,29日、厚木基地では恒例のWings ‘97が開催された。クルーズの関係で例年の4月から開催が遅れたこともあり、台風の接近で展示飛行の中止も検討されたが、29日は青空に恵まれ、例年通りCVW-5によるダイナミックな飛行展示が行われた。またこの年は元航空自衛隊のイーグルライダー、ロック岩崎氏のピッツ・スペシャルによるスタント飛行なども実施され、ショー的要素が盛り込まれたイベントとなった




故ロック岩崎氏操縦によるPitts S-2Bによるスタント飛行
写真:筆者撮影(1997年6月29日)

8月12日、アメリカ海軍はUSSインディペンデンスとUSSキティー・ホークが1998年8月に交代すると正式に発表した。発表によると、キティー・ホークは1998年7月15日にサンディエゴを出港し、”RIMPAC ‘98’に参加した後、真珠湾にてインディペンデンスと交代、CVW-5を載せ横須賀に向かう。またインディペンデンスはサンディエゴに戻り、9月に退役する、というものであった。

このような発表のあった2週間ほど後の8月28日、インディペンデンスは横須賀を出港、CVW-5を載せ北海道の小樽へと向かった。小樽へ向かう途中の8月31日、太平洋上で夜間の訓練中にVF-154のF-14A(NF111/161618)が墜落するが、幸いにもパイロットとRIOは無事救助された。そしてインディペンデンスとCVW-5はそのまま訓練を継続、その後小樽に向かい、9月5日から9日まで間、小樽に寄港し、艦内を公開した。この公開には、30万人を越える大勢の見物客が訪れた。このあとインディペンデンスとCVW-5は日本海に周り訓練を続け、インディペンデンスは9月29日に横須賀へ帰港している。今回のインディペンデンスの小樽寄港は米空母の初の入港で、「米海軍の戦略的入港などと」反対する団体や報道も一部にあったが、米軍側はあくまで友好的寄港であると説明した。

空母インディペンデンスとCVW-5は10月16日から20日の間、韓国近海に展開し、秋季の米韓合同演習“Fall Eagle ‘97”に参加する。さらにその後、11月6日から12日にわたり日本の周辺で実施される恒例の日米共同訓練、”ANNUALEX 09G”にも参加した。そして、インディペンデンスは11月13日に横須賀に寄港した。

一方厚木基地のVF-154のハンガー内には、今回の演習に参加せずLANTIRN Bombcatへの改修を受ける1機のF-14Aがあった。その機体はNF105(162592)で、VF-154におけるAN/AAQ-14 LANTIRN搭載改修の1号機にあたる。通常なら米国に戻り、海軍デポでの改修となるが、飛行隊全機を米国に持っていくことも難しく、メーカからの技術者が来日し、NF105を皮切りに厚木基地内で改修作業が進められることになった。Block125以降の機体が改修されているということからすると、この当時対象となったのは、NF100(161621)、NF102(161620)、NF105(162592)、NF106(162594)、NF107(162597)、NF110(161612)、NF112(162601)、NF114(162610)、NF115(162611)の9機と類推できるが、NF100~NF104はTARPS Pod搭載機であり、果たしてこの時期にLANTIRN搭載機への改修が施されたかどうかは不明である。またこのLANTIRN搭載改修では、同時にAN/ALR-64 レーダ警報受信機とBOLチャフ/フレア・ディスペンサーの搭載作業も行われている。

ここで、AN/AAQ-14 LANTIRN ポッドについて少し説明を加えておく。AN/AAQ-14は赤外線前方監視装置FLIRとレーザー光学系をポッド先端のジンバル内に搭載し、光学的に捕捉した目標に対しレーザー光を発射、Pave IIやPave III等のレーザー精密誘導爆弾を目標へ誘導する能力を有している。このため、LANTIRN搭載のF-14はVF-21が装備していた初代のBomcatに比べ、遥かに高精度の地上攻撃が可能となり、これらのF-14は通常爆弾の投下能力を有した初代のBomcatに対して、LANTIRN Bomcatとも呼ばれている。



原画出典: http://www.fas.org/man/dod-101/sys/smart/lantirn.htm


 年が明けた1998年1月21日、ウィリアム・コーエン国防長官が横須賀に停泊するインディペンデンスを表敬訪問する。そしてインディペンデンスの飛行甲板に集合した海軍将兵に向かい訓示するとともに、「インディペンデンス空母戦闘群は速やかにペルシャ湾に向かい、イラクに対し米国の威信を誇示しているニミッツ空母戦闘群より任務を引き継ぎ、イラクの国連による大量破壊兵器査察拒否に対応する監視活動任務に就いてもらう」との出動命令を下した。その2日後の1月23日、USS IndependenceとCVW-5は、4度目のOSW支援のためアラビア湾に向け日本を後にする。実はこの出発に先立ち、CVW-5艦載機のNLPが、厚木、横田、三沢、岩国の各基地で突然開始され、地元からクレームが続出するというトラブルが発生していた。このときのペルシャ湾展開がそれだけ急を要するものであったのかもしれない。表20-3にこのクルーズでのCVW-5の編成を示す。



表20-3  1998年1月23日、インド洋、及びペルシャ湾展開時のCVW-5の編成

そして空母インディペンデンスとCVW-5は2月5日にペルシャ湾に入った。


ペルシャ湾で急旋回するCV-62 USS Independence(1998年2月11日)
出典: US Navy Official Photo Archive(980211-N-4142G-014)


インディペンデンス戦闘群は計画通りニミッツ戦闘群と交代し、24時間以内にはVF-154がCVW-5では最初にイラクへの査察活動に入った。この展開中にVF-154は夜間も運用可能な最新のデジタルTARPSを受領し、早速運用を開始している。デジタルTARPSとLANTIRN Bomcatの運用能力を得たVF-154は、他のF-14飛行隊とも遜色ない能力を備えることになった。

ペルシャ湾でのOperation Southern Watchで作戦に従事するCVW-5機。左上より、インディペンデンスを発艦するVFA-192のF/A-18C(2月11日)、同じくインディペンデンスを発艦するVF-154のF-14A(2月22日)、KC-10Aから空中給油されるVAQ-136のEA-6B(3月3日)VF-154のF-14AにAIM-54Cを搭載する兵装クルー(3月4日)

出典: US Navy Official Photo Archive(980211-N-4142G-008, 980222-N-2836H-002, 980303-F-2352G-0014, 980304-N-1717N-002)


そして約4ヶ月の展開を終え、CVW-5は6月4日に厚木にフライインし、Indy Wingとしての最後の任務を果たした。帰還したCVW-5のF/A-18Cの中には、AGM-88 HARM、AGM-65マーヴェリック、AGM-84E SLAMなど対レーダ波ミサイルや空対地ミサイルを搭載した機体も見られ、イラクでの監視活動の状況が想像できた。CVW-5の艦載機を送り出した空母インディペンデンスは翌6月5日に現役最後のクルーズを終え、横須賀基地に帰港した。

7月7日、1991年に来日して米海軍第7艦隊の空母として7年間、アジア、太平洋地域の安定化にも寄与してきたCV-62 "USS Independence"(80,643t)の日本での最後の日が訪れた。米海軍横須賀基地では午前9時から、インディペンデンスの見送り式が第7艦隊司令官出席の下に実施された。そして見送り式終了後、多くの関係者の見守る中、ハワイでの"Kitty Hawk"(CV-63)との交代式に向け、インディペンデンスはタグボートに押され静かに12号バースを離れた。一方、インディペンデンスと交代する空母キティー・ホークは、7月5日、母港のカリフォルニア州サンディエゴ海軍基地をハワイに向け出港した。



ハワイの真珠湾に向け横須賀を出港するCV-62 USS Independence
出典: US Navy Photo Archive(980707-N-9315S-006)


交代する両艦が真珠湾海軍基地に到着したのは7月17日で、7月24日まで寄港し交代作業が行われた。この際CVW-5のVFA-192とVFA-195、及びVAW-115が機材を更新している。VFA-192とVFA-195は、USS Nimitz(CVN-68)に搭載されていたCVW-9所属のVFA-146、VFA-147からF/A-18C(N)を各12機受領した。F/A-18C(N)はパイロット用ナイトヴィジョン・ゴーグルに対応した夜間攻撃機能が強化されたものである。VA-115と交代したVFA-27は来日時にこのタイプのホーネットを装備しており、CVW-5の全ホーネット飛行隊が夜間攻撃能力強化型のホーネットを装備完了したことになった。またVAW-115も同じくCVW-9のVAW-112からE-2C Group 2を4機受領している。VAW-115はこれまで初期生産型のE-2C Group 0を使用していた唯一の飛行隊であり、これで他の空母航空団に並ぶことができた。




パールハーバー米海軍基地に並んだ空母インディペンデンス(左)と空母キティー・ホーク(1998年8月17日)
出典: US navy Photo Archive(NS026236b)


7年前に空母ミッドウェイとインディペンデンスの交代式が行われたように、9月に現役を退くUSS Independence(CV-62)と新しく横須賀に配備される空母 USS Kitty Hawk(CV-63)との交代式が、7月18日に執り行われた。そして7月24日の午前7時、キティー・ホークは新母港となる横須賀に向け、随伴艦とともに真珠湾を出港、またインディペンデンスも午前10時にサンディエゴに向け、真珠湾を後にした。

空母キティー・ホーク(83,301t)は8月11日の午前10時に随伴艦CG-62 USS”Chancelorsville”とともに横須賀港に入港、その巨体を12号バースにゆっくりと横付けた。そして到着後、キティー・ホーク母港化のセレモニーが開催されている。一方空母インディペンデンスの退役セレモニーは、1998年9月30日にワシントン州BremeertonのPuget Sound 海軍造船所で開催され、空母インディペンデンスの39年9カ月と20日間の海軍艦艇としての任務を閉じた。

“USS Kitty Hawk”の新しい空母名を入れたCVW-5の艦載機が厚木にフライインしたのは、8月9日、10日であった。1月にインディペンデンスとともにペルシャ湾に出発した際には、CAG機も地味な塗装に塗り替えての出陣であったが、今回厚木に戻ったCAG機には再び派手なカラーリングが蘇っていた。加えて、この年日本駐留25周年を迎えるCVW-5を記念するマーキングが全機に施されていた。

                                 (この章終わり)      


      私のアルバムから (本章に関連する当時のCVW-5の機体)



1997年6月28日、Wings ‘97に展示されたVF-154のF-14A(161272/NF100)。地味なマーキングに戻った。



1997年6月28日、Wings ‘97に展示されたVFA-27のF/A-18C(N)(164045/NF200)



1997年6月28日、Wings ‘97に展示されたVFA-195のF/A-18C(163703/NF400)。
尾翼に大きな白頭鷲が描かれた。


1997年6月28日、Wings ‘97に展示されたVAQ-136のEA-6B(163890/NF620)



997年6月28日、Wings ‘97に展示されたVS-21のS-2B(160694/NF700)。
CAG機ながらマーキングがトーンダウンしている。



1997年6月28日、Wings ‘97に展示されたVQ-5 Det.5のES-3A(159397/NF726)



1997年6月29日、Wings ‘97でダブル・ダイヤモンド編隊を見せるCVW-5の各飛行隊



1997年6月29日、Wings ‘97で見せたCVW-5のダブル・ダイヤモンド編隊を後方から見る



1997年6月29日、Wings ‘97で飛行演技を見せるVAW-115のE-2C(161224/NF604)


1997年6月29日、Wings ‘97でダイヤモンド編隊を見せるVF-154のF-14A


1997年6月29日、Wings ‘97でダイヤモンド編隊を見せるVFA-192のF/A-18C




1997年6月29日、Wings ‘97で派手なソロの飛行演技を見せたVFA-192のF/A-18C(163504/NF311)



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Vol.55 2013 May   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /editor Hiromichi Taguchi 田口博通
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