マクラーレンM8シリーズは さらに改良され続け、1969年は可動ウイングをつけたM8B、
1970年はM8D,1971年はM8Fとなり
1971年までCAN・AMカップのチャンピオンを独占し、マクラーレンの黄金期となった。
しかし 好事魔多し、チームオーナー兼ドライバーのブルース・マクラーレンが1970年のテスト中事故死するという不運に見舞われている。
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1972年にはポルシェがCAN・AMに本格参戦する。マクラーレンのシボレーV8(7リッター600馬力〜8.5リッター900馬力)に対し、ポルシェのターボチャージャー 5リッター水平対向12気筒エンジンはなんと1,100馬力のモンスターパワーを発揮し、ポルシェが1972年と1973年のCAN・AMシーズンを席巻した。
このため、マクラーレンはワークス活動休止に追いやられてしまう。
このポルシェも1974年シーズンは、FIAが燃費規制を導入する方針を示したことで意欲を失い、ワークス活動から撤退することになる。
マクラーレンとポルシェが去った1974年は 人気を失い、またオイルショックの余波で年間5戦しか行われず、1975年は遂にCAN・AMシリーズ自体が休止に追いこまれた。
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